君の背中に贈る言葉
TERADA GEN

寺田元 氏
タオルソムリエ・株式会社 京都工芸 代表取締役
何度でも、人生はやりなおせる。
父からもらったものがある。
とくべつ意識したことはなかったが、思い返せば、不思議なほどにいまの自分につながっている。
一つは、京都で発祥し、やがて滋賀に移転したギフトの会社、京都工芸である。
父は京都の烏丸に店舗を借りて、事業をしていた。当時あった全国2万4540局の郵便局を顧客に、さまざまなノベルティ用品を納入するのが仕事だった。
もとは大丸京都店の前の一等地にあったのだが、15年ほどが経ったとき、オーナーの都合もあって半ば立ち退きのような形で滋賀に移った。その頃とは場所も業務内容もすっかり変わってしまったけれど、いまも琵琶湖のほとりで事業を続けている。
もう一つが、野球に熱中していたころに父がくれた、赤いタオルだ。
少年時代はずっと、無心に白球を追いかけていた。試合のときも、練習のときも、父のタオルは遠征に行くときまでいっしょで、毎日素振りをしながらとめどなく汗を拭ってきた。思えば高校3年の夏、県大会の予選でついに試合終了のサイレンを聴いたとき、溢れ出
る大粒の悔し涙を拭ったのが最後だったろうか。
あざやかだった赤は、すっかり変色してしまったのに、いまも捨てられないでいる。

父と、もらった赤いタオルを肩に。

高校野球に汗を流した。

思いでの赤いタオル。
父から譲り受けた会社は、売り上げが3分の1に激減。
大学時代は大阪で一人暮らしをしていたが、仕送りのない身だったから両手に余るほどの業種のバイトをこなし、社会をわかったような気になっていた。卒業後は、ファッション業界に興味があって京都に本社を持つアパレル企業に就職し、再び自宅から通っていた。
先輩の後ろについて営業に歩きまわる日々が3年も続いたころだ。
父の会社の経営が苦しくなり、時を同じくして母が病に侵された。ところが、日々同じ屋根の下に暮らしていながら、寺田さんは仕事に駆けずりまわっていて、家族の苦しみに何一つ気づいてもいなかった。
突然知らされた両親の一大事に驚くとともに、気にもかけていなかったわが身が恥ずかしく、申しわけのない気持ちが募った。
さんざん悩み抜いた末に会社を辞し、改めて家業を手伝うことになった。
もともと京都工芸の仕事は、その95%が郵便局に向けたものだった。局が用いる粗品を納入することと、扱ってもらっているカタログ販売の商品を卸すことが業務である。
繁盛していた京都時代に比べれば、規模はうんと小さくなっていた。父はすでに、細々とでも食べていければ十分、といった考えになっていた。
それでもまだ、滋賀県だけで郵便局は217局もあった。
お客さんは以前から見知っている方ばかりだし、寺田さん自身は飛び込み営業をするわけでもない。ただ敷かれたレールの上に乗っていればよかった。
父のそばにいながらも、言われた以上のことはしない。何のために家にもどってきたのか。褒められた息子ではなかった。

そんな毎日が8年ほども続いた2001年4月のある日、いまだ本気が見えない息子に業を煮やしたか、父はあとはこうしろとかを一切告げぬまま、呆気なく代を譲り、それきり来なくなった。
仕事先はあるし、口出しされることもない。それはそれで有り難いことなのかもしれないが、そううまくはいかなかった。
2年後、事態はあっけなく急変する。
2003年4月、小泉政権によって実施された郵政民営化とともに日本郵政公社が誕生し、これまで国から全国の郵便局に下りていた予算はぴたりと止まった。
売り上げは一気に3分の1まで激減した。生活もままならない。
事業を受け継いだのなら、率先してこれから先を考えるべきなのに、焦るばかりで、目先の数字ばかりを追いかけている自分がいた。
つねづね「元ちゃんにまかせとくわ」と言ってくれていた局の人たちが、「ほんまは買うてやりたいんや。けど、ごめんな」と言葉を詰まらせる。本心から言ってくれているのだが、やさしくされるほど辛かった。
よくないことはつづく。事業の見通しがつかず、不安は募り、2人の子どももいて重圧に追い詰められた。行くところまで行って、以前に経験したことのあるパニック障害を発症した。
眠れない。食べられない。電車にも、エレベーターにも乗れない。これからどうなるのか。負の連鎖がはじまっていた。
闇のなかに射してきた、一条の光。
心身ともに最悪の状況にあった。
辛かったが、わらにもすがる思いから、さまざまなところに顔だけは出していた。
そんななかで多少とも幸運だったと思えるのは、ちょうど時代が、ネット通販の黎明期に差しかかっていたことだ。
知人の勧めもあって、滋賀県商工会連合会が主催する「Eビジネス道場」に参加した。これからネット通販を始めたいとする人たちに向けたセミナーだった。
ただ寺田さん自身は、それまでパソコンにもほとんど触れたことがなかったし、インターネットすらよく理解できていなかった。
ところが、通いはじめるほどに、それぞれ事情を抱えた人たちとの交流のなかで、これまでの自分のあいまいな生き方がどんどん露わにされていった。
未熟さを思い知らされることで、ぽっと微かな光が点った。ひょっとすると、何かが変わってくれるのではないか。気持ちにかすかな変化が生じていた。

道場では、なによりテーマをしぼり、ある領域に特化することが求められた。
もとより、そこには郵便局のような絶対的なお得意さんは存在しない。どんな人に、何をもって勝負したいのか。それこそがネットビジネスの要諦であり、ギフト屋のような何でもありの幕の内弁当は否定された。頭のなかを、さまざまな思案がめぐっていた。
そんな折り、或る量販店に買い物に行った。
と、目の前に、何枚ものタオルをカートに入れている女性がいた。どこにでもあるありふれた光景とも言えるが、寺田さんは彼女の行動におもわず釘付けになった。
「この人はタオルを、お金を出して買っている。 しかも、一度に4枚も」
寺田さんの感覚では、長いギフト商売の経験もあって、タオルは買うものなどではなくもらうものだと、その瞬間まで思い込んでいたのだ。
そうなんだ。気に入ったものなら、タオルだって人は買うんだ。
はじめて、そう気づかされたときだった。
もとよりタオルは、生活のなかでは脇役にすぎない。ただ、何かを拭くだけのものでもない。
人がオギャーと生まれて最初にくるまれるのがタオルであり、出産祝いなどのさまざまな贈り物としても重宝される。その後も一生にわたり、どこかで触れていくものなのである。
父がくれた赤いタオルのことが浮かんだ。そうだ、タオルにはときに人を励ますことがあり、人と人とをつなぐこともある。
ふと舞い降りたひらめきに、向き合う日が続いた。果たしてそれで正しいのだろうか。
寺田さんはそこから、周りがあっという答えを導き出そうとしていた。そして、決めた。
自分はタオルで勝負しよう。
しかし周囲は、ことごとく反対をした。
どこにでも売っているものを、何でわざわざネットで売る必要がある。いったい誰が買ってくれると言うのか。ただ一人として理解を示してくれる者はいなかった。
目の前の琵琶湖に浮かぶ小舟のようだった。考えは揺れた。揺れに揺れていた。
一方で、ここまで人がやろうとしない領域にこそ可能性が横たわっていると考える自分がいた。そのことを信じたかった。
やっぱり、賭けてみよう。誰も振り向かないタオルに、思いっきり賭けてみよう。

自分を教えてくれた、一通のメール。
悪戦苦闘の末、2004年10月にサイトをオープンした。
ただ、高揚した気持ちはすぐにしぼんでいった。サイトを立ち上げたからといって、自動的に売れるものではない。寄せられるメールのほとんどは、送料の確認であったり、値引きとかに類することばかりだった。
当初こそ知り合いたちが注文してくれたが、まったく見ず知らずの方が最初の一枚を買ってくれるまで、じつに3カ月がかかった。
咲こうとした花は、立ったまま枯れはじめていた。そんななか、一通のメールが届く。
そこには、こう記されていた。
「私に似合うタオルって何ですか?」
一瞬、すべての思考が停止した。このときやっと、モニターの向こうに生身の人間がいることを感じた。同時に、即座に彼女の問いに答えられない自分に腹が立った。
売ることばかりが先に立って、じつはタオルのことを本気で知ろうともしていなかったのだ。
頭から学び直すつもりで、わずかな伝手を頼って生産地をめざした。
タオルの二大産地は、愛媛県の今治と大阪の泉州にある。訪ねてみると、タオル業界は想像以上に分業で、生産者の方も自分たちが受け持つパートは専門ながら、前後の工程にはさほど精通していないのが現実だった。
それに生産者は、海外からの安い輸入品に押されて、どこも息も絶え絶えだった。その輸入品はと見れば、サイズのばらつきがあったり、縫製のひどいものや、なかには汚れているものまであった。日本製は見えないところにも独自の基準を課し、どこの工場でも品質を厳しく問うているのに。


四国今治の綿花畑を訪問
日本の生産地は、なぜ、これほど報われていないのだろう。
だったら自分は、一生懸命につくっているこの人たちの生活を守るお手伝いをしよう。通うほどに、その想いが強くなっていった。
まずは自身のサイトの編集方針を大転換した。
インターネットはそもそもモノを売る場としてではなく、モノをよりよく知っていただくためにある。その基本に立ち返ることから再出発した。
具体的には、生産地の仕事の内容や苦労や工夫を正しく消費者に届け、生産地の人びとも互いによく知らなかった全行程を映像で明らかにし、使ったお客さんが喜んでくれる声を生産者に直接届けるようにした。
ふだん撮影などされたことのない工場の人たちは当初けげんな顔をしたが、そのうちにどんどん互いの距離が縮まっていった。やがてお客様から感謝の声が届くようになると、うれしいことに工場の人から、ありがとう、の言葉が返ってきた。
それからは生産者のために、価格競争の向こう側にある、あたらしい需要をつくることに専念していった。
アスリートには、日の丸がよく似合う。
寺田さんはこれまでに、たくさんの新しいタオルをつくってきた。
その一つ、「日の丸タオル」について紹介しておこう。
2009年3月、テレビでWBCワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦を観ていたときだ。延長10回にイチロー選手が勝ち越し2点タイムリーを放ち、日本が劇的な勝利をおさめた。輪になってグラウンドをまわる選手たちのまん中には、大きな日の丸の国旗があった。
ところが、試合中のベンチのなかで見た選手たちのタオルは、みんなバラバラのものだった。全員が日の丸を背負って戦っているのに、代表選手たちが使う日の丸のタオルがないのはなぜだろう。



開発はかんたんではなかった。やわらかなタオルはその製法上、表と裏の両面の同じ位置にぴたりと日の丸をプリントすることが困難とされてきた。
足繁く今治を訪ね、職人さんと何度も試作と失敗を重ねたのは、世界の舞台で戦う選手に中途半端なものを渡すことはできない、との想いだった。
いつのまにかチームに若い職人さんたちも加わってくれ、悪戦苦闘の末にやっと実現にこぎつけた。


いま、京都工芸の玄関には、誰もが知っている著名なアスリートたち直筆の感謝の言葉が添えられた日の丸タオルが、たくさん掲げられている。
まもなく東京オリンピックがやってくる。その日、スタンドのあちこちで、多くの日本人がまっ赤なタオルを掲げていてほしい。
あるときは高らかに、あるときはやさしく、選手と観客を大きな心でつつんでいるシーンが待ち遠しい。

お客さんと配送者と自分たちの心をつなぐ取り組みを。
ネット通販では、お客さんがクリックして決済をしたら、そこがゴールと考えがちだ。
果たして、そうだろうか。ほんとうはお客さんのもとに商品が届き、それを開いてもらい、手で触れて、さらに実際に使ってもらって、最後に「よかった」と思ってもらったときがゴールのはずだ。そうした考えから、いくつかの試みを率先してきた。
たとえば、もう10年ほどになるが、お客様が使わなくなったタオルを引き取り、それを大量に必要とする介護施設や牧場、福祉センターや被災地などに無料で届けるリユース活動をしている。もちろん、送っていただくものは他社の製品でも構わない。
なぜ、そんな損なことをする。そうも言われるが、必ずしも持ち出しばかりではない。そのための細かな作業や送料などの負担は発生するものの、使い古されたタオルに触れることでわかることはたくさんある。
お客さんがどのように使っておられるのか、じつはそこに、商品開発や改善のヒントがたくさんひそんでいるのである。
人気の高いもの、めずらしい模様、お客さんのタオルの洗い方や干し方の間違いなど。
いわば、生きた情報を無料でいただけてもいる。そのため寺田さんは、送り出すすべての商品に感謝の手紙を添えるとともに、タオルの使い方をまとめたものを必ず添付している。

小さな商品なのに大きな段ボールで届くことも、よくあることだ。
マンションの上層階に住んでいる方は、取り出したあとの段ボールをまた階下まで運ばなきゃならない。気持ちのいい包装や梱包はとても大事な要素ではあるけれど、お客さんの立場で考えるとまた違った答えが出てくる。
だから、理解と賛同をいただくためのメッセージを添え、不要ゴミがかさばらないように、あえて宅配専用の紙袋でお届けしている。
同時に、自分たちのたいせつな商品を届けてくださる宅配のドライバーさんに向けても、感謝の気持ちを書いたシールを表に貼る。
商品にかけた作り手と送り手の気持ちを、みんなで分かち合いたかったからでもある。
これらすべては、頭で考えるよりも自分でやってみる、まずは動いてみる、の結果から生まれたものだ。
寺田さんはいつも、商品の向こう側にある幸福な生活を想像しながらやってきた。
人生を何度もあきらめかけながら、それでももう一度やり直そうと、行動しつづけることでたどり着いたのが、タオル屋だった。
タオルはまだまだ奥が深いのかもしれない。
ただ、人びとを応援しつづけるという点では、ほかにもいろんな可能性があるだろう。この人の温かく細やかな視線がこれからどこへ向かうのか。
終わりなき人生の試合を見つづけていきたい。
取材:瀧 春樹

【みなさまのおかげで受賞しました!】
・2018年 MFUマイスター<技術遺産>タオルマイスター受賞
・2015年 滋賀県先進的ITハンドラー 優秀賞 授賞
・2013年度 OSMC優秀実践者賞 授賞
・2009年 第1回ECショップホームページコンテスト エビス準大賞 受賞
・2008年度 経済産業省認可 関西IT百撰 優秀賞 受賞
〒520-0106 滋賀県大津市唐崎1丁目26-8
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