インタビュー&リポート
YAMAMOTO HISANORI

山本 尚徳 さん
東京・中目黒 ピッツェリア エ トラットリア 「ダ・イーサ」 オーナーシェフ
国内のピッツェリアで腕を磨いたのち、本場ナポリの著名なピッツァ職人であった故エルネスト・カチャッリ氏に師事。 朝の4時5時から夜中の1時まで働き続ける日々のなかで、修練を重ねた。そして2007年、 はじめて挑戦した世界ピッツァ選手権で、イタリア人はもちろん、各国から集まったそうそうたる参加者をおさえて 外国人初の総合優勝を果たした。29歳だった。

窯の前は、つねに500℃以上の高温になっている。
昨今の異常気象で、夏場はさらに温度が上がり、窯から離れると一気に冷えるため、1日に3度ほどもシャツを着替えることになる。
実際はかなり過酷な仕事で、体の動きに合わせてしなやかに追従してくれるシャツは、窯の高熱から身を守ってくれる存在でもある。
夏場はTシャツが多いが、冬場によく着るシャツは、以前からフレックスジャパン(株)にお願いして、お店のロゴ入りのものを作ってもらっている。


ピッツァは、生地が命でもある。ただ、この国には四季があり、梅雨がある。
炎天下の日があれば、雨や雪の日もある。長い経験から、翌日の天候と温度、湿度をにらんで、生地の発酵を適切にコントロールすることが欠かせない。
だから、開店時間だけでなく、閉店後も店に残って黙々と生地と対話することになる。
どうしても睡眠時間が少なくなるが、お客さんの笑顔が歓びに代えてくれる。

自宅からお店には、イタリア製スクーター、ベスパで通っている。
なかなか自由な時間がとれないが、たまの休日には、近ければフィアット社の旧型500「チンクエチェント」を走らせ、
ちょっと遠くに出かけるときはポルシェ・カレラ911のステアリングを握る。
リフレッシュを兼ねた唯一とも言えるたのしみがクルマだが、どこかに素敵な店ができたと聞けば足を運び、
情報交換を兼ねて料理人仲間の店を訪ね、ときには監修をしている冷凍ピザの工場にも向かう。
毎日、お客さまをお迎えする身とすれば、つねに世の中の動きに敏感でいたい。
そしてそんなときは、やはり無意識に白いシャツを羽織っている。


2012年に最初の料理本「ナポリ食堂 ダ・イーサへようこそ」を講談社から出版した。
昔からのお客さまであったこととTV番組「徹子の部屋」に出演したこともあって、
黒柳徹子さんが推薦してくださった。そのあと、毎日お店でスタッフと食べているイタリア料理を紹介した
「ダ・イーサのまかないイタリアン」を出版。
最初の本はすでに売り切れてしまって手に入りにくいが、2冊目はまだ入手できるかもしれないとの話である。

文:瀧 春樹