インタビュー&リポート

OKUBO SHUKA

大久保 秀佳 さん

高校生仏師


この春ご卒業、さらに大きな一歩を踏みだす

おととしの冬、大久保汰佳(たいが)さんを取材させていただき、その後はどうされているか再取材の希望を伝えたところ、こころ良くお返事をいただき、ご自宅へと伺いました。
聞けば、2021年7月に出家得度をされ「大久保 秀佳(しゅうか)さん」となられていました。
ご挨拶の後、秀佳さんにご法楽をしていただき、仏様が祀られているお部屋にお香の良い香りが漂うなかで、お経を聴きながら、目を閉じて手をあわせることでこころ穏やかになりました。

Q:この年末年始はどう過ごされていたのでしょうか。

秀佳さん: 昨年12月28日から新年1月5日まで高尾山 薬王院で、助法(じょほう)という、お寺のお手伝いをしていました。
大晦日と元旦は徹夜で、お正月は1年の中でも参拝がおおく護摩(ごま)焚きが1日に何回もあります。
一緒にお経を唱えているなかで、いままで何度も信者として通いましたが、こんどは信者さんをお迎えしてお勤めをする立場となって、 お寺やお坊さんたちの動きについて、こうしていたんだという発見があったり、1週間以上泊まっての経験は何から何まで新鮮で大事な学びが山ほどあって、 すごく楽しかったです。疲れましたけれど、楽しかったというのが感想です。

Q:お寺の朝はとても早いという印象ですが。

秀佳さん:毎朝6時からお護摩のお勤めから始まるので、5:20には起床して準備をしていました。
冬の早朝、高尾山は長野と比べても寒く体も芯から冷えます。高尾山はいつもにぎやかで、どこからでも人の声が響いてくる楽しい山ですが、 朝のひとときだけは暗くて、とても静か。そこからだんだん朝焼けが広がり、鳥が鳴きだします。
そうすると、この山には力があって仏様、天狗様がいらっしゃるんだなぁと感じさせられます。
この朝のお勤めが私にとっては至福のひとときでしたね。

Q:薬王院へ助法に来られていた方は他にもいらっしゃいましたか。

秀佳さん:わたしを含めて7人程です。
それぞれお寺のお子さんなりですが、20代のフレッシュな学生さんが来られていました。
ご祈祷などのお勤めを通して感動したり、みなさん、それぞれに得たものがあったと思います。
わたしは昨年の夏に得度をうけたのが高尾山の薬王院なので、いわば実家のようなものですね。
お正月は実家に帰るという感じでした。

Q:助法をされて、印象に残っていることはありますか。

秀佳さん:初日の出を拝んだことです。
高尾山は初日の出のスポットでもあって、本来は山頂から日の出を拝みますが、コロナ禍で薬王院の境内からとなり、そこはたいへん混んでいました。
ちょうど初日の出を迎える法要に立ち会うことができ、白く線状になっているところから、 黄色の光がぱぁっと出てきて「うわぁー」と感動したことが強く印象に残っています。
ちょうど徹夜明けだったので力をいただけましたし、神様や仏様はいらっしゃるんだなと。この素晴らしい光景はずっと変わらずに営まれていて、 自然の織り成す力というか、その輝きによって私たちは生かされているんだなと。
日の出は毎日あがるのに、見る機会は少ないんですよ。だからこそ感動するんですね。

Q:高校をご卒業後について教えていただけますか。

秀佳さん:京都の大学で仏教と、真言密教の教えを学びます。
京都は千年の都で、お寺や仏像が多く、大好きな仏様や仏師がたくさんいらっしゃる。
仏師として、仏様をつくり続ける上での技術的な面も学んでいきたいですね。
住むところは三十三間堂の近くで、毎日通えてしまう最高の土地。大学生活はもちろんですが、京都で生活を営むことも楽しみです。
仏師は“仏の師”というように、仏道に深く通じ、仏様のお心をかたちにするものです。仏像というのはお釈迦様の説かれた教え、 “仏法”がかたちとなりあらわれたものです。ですから仏師は仏教、とりわけ密教への理解とその実践が必要になります。自分で実践し、 体得していく。そこから得たものは自然と自らのつくる仏様のかたちとなって輝いていくのですね。

Q:ボブカットだった髪を切られたときの心境は。

秀佳さん:数年前から、そろそろ髪を切るんだろうと思っていました。
よく「髪をそるシーンで泣く」とありますが、そんなことはなくて。バリカンを入れて勢いよくダーっといきましたから、 感動はあまりなくて、それよりも翌週にせまった得度式の心配しかなかったですね。
一番ぐっときたのはその1か月ほど前、最後のボブカットを整えようと、いつもの美容師さんのところへ行ったとき、 ふとした瞬間にちょっと涙が出そうになって、「ここでくるか」と思いましたね。
髪の毛を剃ることを、執着をとるというのですが、わたしは長年ずっと長い髪だったので愛着があり、大切にしていましたからね。 髪を切るときも、これで最後なのかと、切ないとかではなく卒業式のようなさみしい感じでした。
いまもふと髪を触るしぐさが出てしまうんです。

Q:秀佳さんが大事にされていることをお話いただきたいのですが。

秀佳さん:仏像は「自分自身の心の鏡」。
向き合っているのは自分の仏様が出てこられている尊いものと教えられ、大事にしています。
仏様はどこか遠くにいるのではなく、極楽浄土や悟りも全部自分のこころの内にあるという教えで、仏像も仏師が独創で作り上げたわけではなく、 仏師の身体と思いが、この宇宙全体に広がっている仏様の大きな大きな体、こころ、教え(ことば)と完全に溶け合うことで、かたちとして誕生したものです。
自分で拝む仏様をみずからつくっているのは、理にかなっていると思っています。
密教では私たちと仏様とが一体となる、一つとなることが大切な教えと説かれます。ですから真言宗の合掌は、私たち“衆生”(しゅじょう)と仏様とが深く交わるかたちです。 まさに私と仏様が融け合うのですね。

金剛合掌

仏様はその時代の人にあわせて現れます。
こちらでお祀りしているのは飯縄権現(いづなごんげん)という仏様ですが、中世の戦乱の絶えない濁った世の中に忽然とあらわれた仏様です。 その姿は狐に乗り、炎を背負い、くちばしと翼が生えている非常にパワフルな姿です。
飯縄権現は不動明王をはじめ五体の神仏が一体となられた仏様です。

飯縄権現

大きなお力を持つ仏様をという当時の人々の切実な思いから、祈り出された仏様ですね。
私は頭を丸めて、お坊さんとなってこれからの一歩を踏み出すわけです。その大きな一歩を確かなものに、 まだまだゴールのトンネルの入口は見えないですが、今からここから精進ですね。

Q:仏像にも流派や、特徴などがあるのでしょうか。

秀佳さん:平安時代、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来を作った人がとても大事な人物で定朝(じょうちょう)という仏師ですが、 この方は日本で初めて自分で仏師工房を構えられた方です。
仏像の美を追い続け、「定朝様」という今に繋がる仏像制作のスタイルを完成させました。ですので仏師の親としても仰がれています。 かの有名な運慶(うんけい)や快慶(かいけい)も、定朝の系譜に連ながるのですよ。

仏像を見れば、その時代がどんな時代だったかが分かります。平安時代は一番恐れられていたのは“怨霊”、つまり目に見えない大きな存在。 ですので、そうした大きな恐怖をも退けるような力強い仏像もつくられます。
そして貴族の世の中に変わっていくと、貴族好みの、おしとやかで、非常に落ち着いた雰囲気の仏像が好まれます。

時代は移ろい運慶や快慶の慶派が活躍した鎌倉時代は武士“もののふ”の世の中です。
死と常に隣り合わせの緊迫した時代です。「死への恐怖」や「安楽」を求める想いが仏像に人間の体に近いリアリティをもたらしたのですね。
このように、仏像にはいつの世も変わらずに人々の厚い“祈り”、“願い”が込められています。

手づくりの仏像

その時代の背景、世の中に求められた仏様の姿とかたちを、感性が磨かれた宗教者の仏師が仏様に会いたくて 仏像をつくったので、いまの時代に千年前の仏像をつくれと言われても、どうやってもつくれるものではないのです。
わたしが心惹かれる「地方仏:ちほうぶつ」(都を中心として作られた洗練された仏像に対して、地方で作られた仏像のこと)は、 千曲市戸倉上山田にある智識寺(ちしきじ)の本尊様もそうで、3m位の大きな丸太で直立した十一面観音。奈良や京都では見られない、 その土地の仏様です。
都で洗練された仏像彫刻ではなく、その土地で暮らす民衆のために、宗教者である仏師が自らノミをふるい刻み上げた仏像には、 深く濃い祈りが込められ、だからこそパワーがみなぎっています。私はこうしたアグレッシブな仏像が好きで、こういう仏像をつくりたいと思います。

Q:令和の時代、仏様はどんなお姿をされているのでしょうか。

秀佳さん:いまのコロナ禍の状況で不安が煽られる日々、そんな令和の時代に現れる仏様のお姿は、うーん、どうなんでしょう。 300年後位になれば分かるのでしょうね。
時代が変わってもひとびとに仏様は求められていますし、仏像を見たいと思うことが大事ですね。
秘仏といわれたものが、いまは御開帳のように率先して仏様を見せてくださるようになりましたね。
ふだんお寺に行かないような若い世代の方が仏像の展覧会に大勢来られ、美術品として向き合うときも手をあわせています。
「令和になってから良いことがない」と聞きますが、切迫すると人は良いことにまず目がいかなくなってしまう。 では、コロナ禍の前は良いことがあったかというと、人間は物事を良い悪いではかりやすい上に、一つ一つでなく、 トータルでみてしまうので一つがダメだとトータルでもダメだとなりやすい。
凝り固まってしまうと本質が見えなくなってしまうので、仏教は“ものの見方を変える”訓練をします。それを積み重ねていくんですね。

Q:再びコロナ感染者が増えたいま、秀佳さんのお考えをお聞きしたいです。

秀佳さん:よく「疫病退散」と拝むのですが、神様には善悪はなく、密教の作法では数かずの神様「疫病の神様」も招きいれて、 お経なりお供えでもてなす法楽(ほうらく)をして、徳を積んでいただいてから満足して気分良く帰っていただくという教えがあります。

十一面観音

昔から「疫病が流行ったときは疫病を退ける大きな力がある十一面観音を拝みなさい」と言われています。わたしの本尊様でもあるので、 最近は十一面観音をずっとつくっていて自分自身の修行にしています。
あとは千体地蔵(せんたいじぞう)もつくっています。千体は多いという意味です。いつか本当に千体おつくりできればいいのですが、ご縁の人へとお渡しして、 仏様のご縁を広げています。
修行は発願(ほつがん)といって願いを立てるところから始まります。この千体地蔵に込めた願いは仏様とのご縁を広めるという大きな願いです。 これを手にした人が幸せであるように。そしてまた、手にした人が仏様の心を大切に生きていくことで、家内安全や、無病息災、厄除けや開運といったそれぞれの 願いが満たされていくのですね。

手づくりの千体地蔵

秀佳さんから千体地蔵をいただきました。このご縁とともに宝物にします。

仏様は遠い存在ではなく、「自分自身の心の鏡」。 そうお聞きしてから、仏様の表情がその時その時で違って見えるので不思議です。
秀佳さんの心地よい声と、ゆっくりとした口調に導かれ、仏教や密教の教えの奥深さに触れ、考えかたや生きていくためのヒントをたくさんいただきました。
ときにはドラマや芸能人の話や、文化祭で「マツケンサンバ」を踊り最優秀賞をとられたお話など、学生さんらしいお姿も垣間みえ、 わたしも思わず顔がほころんでいました。

この春にご卒業され大学生となられる秀佳さん。
とても大きな一歩を踏み出そうとされているところでした。またいつかお会いして、素敵なお話をお聞きしたいです。

いただいた宝物の千体地蔵


取材/文章・中村直子、写真・庄村成央