インタビュー&リポート
DAN SUMIYO
檀 純世 さん
ジュエリーデザイナー・フィレンツェ在住
イントロダクション
フィレンツェの街を歩くと、小さな工房をたくさん見かけます。
鞄や靴、そしてモザイクなどさまざまで、ルネッサンス発祥の地はいまも職人の技が息づいています。
なかでも金細工はフィレンツェの代表的な伝統工芸のひとつです。
そんな金細工店が軒を連ねるベッキオ橋を渡って向かった先が、ジュエリーデザイナー檀純世さんのところでした。
フィレンツェ最古の橋と呼ばれるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)。
橋の上には宝飾品店が並び、メディチ家の専用通路も通る、歴史が造り出した独特の構造が魅力的。
ものづくりといっても、さまざまあります。
同じものをたくさん作る世界があれば、一つだけを手作りする世界もあります。
檀さんもはじめは、前者に携わっていました。
大阪芸術大学の工芸学科を卒業後、染めによって深さを変える色彩に魅せられてニットデザイナーになりました。
目まぐるしく移り変わるファッション界、彼女のデザインした製品は何百、何万枚と生産され、多くの人に届けられました。
そのことに喜びを感じなかったわけではありませんが、どこか自分の心が満たされていないことに気づくのです。
“もう一度、自分を見つめ直したい”と退社を決意。その後、イタリア語を学びます。当時の第2外国語としては珍しい選択でしたが、人と違ったことをしたいと考えていた彼女にとっては魅力的なものでした。
そうしてすぐに、シエナとピサに語学留学をします。
子どもの頃から『やってみれば何でもできる』と育てられてきた彼女にとって、迷いはありませんでした。
そしてついに彼女は、自分で歩く人生を探すためにイタリアに渡ります。
たくさんの人との出会いと発見がありました。異国の地で夢中で過ごす時間はあっという間に過ぎていきました。40才のときです。
「一息入れよう」そんな気持ちだったでしょうか。言葉も話せず、知人も誰ひとりいなかったイタリアで頑張ってきた自分にご褒美として、二度目の成人式のお祝いをしてあげよう。
そう思ってブレスレットをオーダーすることにしたのです。
ものづくりの様子が気になり、彼女はオーダーをしたジュエリー工房に通いました。そこは職人の手によるものづくりの現場。すべてが手作業で、一つとして同じものがない世界に心を動かされました。
と同時に、芸術性が高く、永く残る工芸品である金細工に魅せられたことで「この町でもう一度デザインの仕事をしたい」という思いがこみ上げました。
足繁く通ううち、いつの間にか工房を手伝うようになりました。それは彼女のデザインセンスが高く評価されてのことでした。
そのとき出会ったのが、金細工のマエストロ“マルコ・バローニ氏”でした。のちに彼は、彼女の人生のパートナーとなるのですが、そんな幸運な出会いもあり、再びデザイナーとしての道を歩み始めます。
いまでは斬新なデザインが高く評価され、自身のブランド「Pura」を立ち上げるまでになった檀さんですが、職人と芸術の街での挑戦は困難があったことでしょう。どんな思いで向き合ってきたのかを、檀さんにお聞きしました。
-自分へのご褒美としてオーダーしたブレスレットから始まったのですね。
ええ、この工房と出会っていなければ、違った人生を歩んでいたかもしれませんね。 工房はすばらしく、これまで量産品のものづくりにいた私にとって別世界でしたし、特別な空間でした。それにマルコとの出会いもここでしたから。
-どちらも運命的な出会いだったのですね。
彼は人生のパートナーであって、金細工のマエストロでもあり、作品をつくるうえでは意見を交換し合えるよい関係です。
硬いはずの金属が、彼の手にかかるとやわらかく、暖かく感じられるジュエリーに生まれ変わります。
同じデザインのリングであったとしても、エレガントに仕上げる職人さんもいれば、そうでない人もいる。
そういう意味では、彼はその数少ない職人の一人なんです。
-マルコさんとの共同作業について具体的に教えていただけますか。
また、お二人で作られた作品つくりで印象に残っていることはありますか。
私の描いたデザイン画を彼が実際に作業して作り上げていくのです。
ですが、たまに細部を勝手に変更されてしまうので、喧嘩になりますが、時々「さすが!」と思わせるときもあって、
そのあたりが経験と、彼のセンスなのだと思います。
マルコ・バローニ氏は純世さんの共同制作者でもあり、よき人生のパートナー。
檀さんのデザインと、マルコさんの技術が一つになった作品。
-デザインをするうえで大切にしていることは何ですか。
“ちょっと違う”と言ったらいいのでしょうか。
人と同じではなく何かが少し違っていることです。奇をてらって目立つのは当たり前のこと。そうではなく、普通っぽいのにどこかが違うと感じさせるところです。
それはバランスだったり、クオリティだったり。
おしゃれって、そこだと思うんですよ。
ジュエリーは勝負できる面積が小さいですよね。ただ、小さくても、それを身につけるとちょっと背筋が伸びたり、動作が美しくなったりしませんか。
私の作品を身につけていただいて、他とは何かが違うと気づいていただければ嬉しいと思っています。使うほどに気に入って、長く使ってもらえるものを作りたいと心がけています。
-絵を描くことは幼い頃からすきだったのですか。
ええ、内向的な性格ではなかったと思いますが、本を読んだり、絵を描いたりする方が友だちと遊ぶより好きでした。
-作品づくりで苦労されているとことはありますか。
デザインをすることと、実際に制作をすることの違いですね。私は自分で出来る範囲で、ジュエリーの制作もしますが、やはり何十年も経験を積んだ職人さんたちには及びません。
そういう職人さんたちの協力があってこそ、私のジュエリーは形になっていくわけですが、ものを作る上では個性が出ます。
うまくコミュニケーションをして、彼らの個性を尊重しながら、自分のイメージに近い、より良いものを作りたいと思っています。


- “ Pura・プーラ ” ブランドを立ち上げ、そこに込めた思いは何だったのでしょう。
経験が増して知識が増え、いろんな作品をつくる中で、お客さまが私の作品をどのように評価してくださるのかを知りたくなったんです。
私の人生の足跡を何かのかたちで残すことができたら素敵だな、と思いました。
-金細工店や職人が集う街での挑戦ですね。
高い技術や長い経験を持った職人さんから学ぶことは、たくさんあります。
彼らのアドバイスを受けることも、とても貴重なことなんです。自分自身にどれだけ妥協せず、良いものをつくれるか。
まだまだ長い道のりになりそうだけど、それを楽しんでやっているんですよ。
イメージや絵に書いたものが実際に形になるって、素敵なことだから。
-最後に、純世さんにとってフィレンツェはどんなところですか。
遊んでいる分にはこの上なく楽しく、美しい街で、よい仕事し、良い評価を受けるにはとても厳しいところだと思います。
取材:山口絵美