わい
わいがや倶楽部

たぶん、サイトで初めての、
連載時代小説。

第四回
船宿の密会

  ぽちゃーん。ぽちゃーん。
  退屈を持て余すように、川の水が船着き場の石積みを洗っていた。
  水辺に[もや]われた小舟がゆらゆらと浮き沈みする向こうに、波にさらわれまいと小指の先ほどの小さな[かに]が一寸刻みに逃げては、両の脚を広げて石と石の隙間[すきま]にしがみついている。
  浅草御門に近い、柳橋の船宿の二階に明かりが点っていた。
  平岩屋徳右衛門はこの夜も、内与力の内村清十郎と会っていた。
  向う岸の座敷からもどったばかりで、一旦は神田川の川風にさらされたはずの内村の頰が、まだ赤く火照[ほて]っている。
「のう、平岩屋」
  上機嫌だったはずの内与力が、船宿にもどり着いた途端に、調子を変えた。
「お奉行は、まだまだ役者が足りぬと仰せだ。下り酒のほうの頭数をもっと増やせと、な」
「地廻り酒問屋だけでは不足、ということでしょうか」
  得意満面だった平岩屋のえびす顔が、奇妙にゆがんだ。
  腫れぼったい瞼の脇に、派手にあばたが散っている。
  内村は答えようともしない。
「ならば内村様、今少し、時をいただかねばなりません。いま、やつらの弱味を徹底して洗い出させております。なあに、下り酒問屋の主といっても、たかが出先の江戸店をまかされているだけの身分。だれだって上方の本家に知られて都合のわるいことの一つや二つは抱えておりますよ。本家に筒抜けになれば、即刻、首をすげ替えられる連中だ。どこまでも追いまわして、いずれ、ぐうの音も出ないように……」
「手ぬるいのだ」
「は」
  猪首[いくび]の平岩屋が、短い首を惜しみなく突き出した。
「ご老中方の御用部屋に上げるには、両方の酒問屋から出された願いでなければならぬ。数だけ整っていても、地廻り連中だけでは話にならぬのだ」
  内村は、ふんと鼻を鳴らした。
 町奉行神尾[かんお]備前守元勝は、公儀が商人たちの株仲間から冥加金を徴収する先例を、自分の手で切り拓く腹づもりでいた。
  ここまで幕府は、百姓からは年貢を取っても、江戸の商人や町人からは一切の税を徴収してこなかった。
  それというのも、江戸を西の上方に匹敵する有数の商業地へと発展させていくためには、かれらが江戸を見限って立ち去ることのないよう、じゅうぶんに優遇しておく必要があったからだ。
  それでなくても商人は、政略上、あえて士農工商の一番下に位置させている。
  そもそも公儀はかれらに、人としての身分を認めてこなかったのである。
  本心とは裏腹に、最下等に位置する者から税を徴収するのは、公儀としていかにも恥ずべき行為との意識が強かった。
  とはいえ、いつまでそんなことを言っていられるだろう。
  神尾自身は、いずれは避けられぬことと睨んでいた。
  どこかで反乱が勃発したり、大災害に見舞われでもしたら、すき間がめだついまの御金蔵では、にっちもさっちもいかなくなる。
  それゆえ、高値で売買される大量の下り酒から多額の上納金を集められるなら、公儀としても喉から手が出るほど欲しいはずだ。
  もとより寄合や株仲間など、組織化を禁じてきた公儀の慣例を覆すのはかんたんなことではない。金銀を牛耳るかれらが、やがては公儀が手出しをしかねるほどに強大な力を身に付けていくことを案じたからだ。
  が、ここで考えを転換できれば、幕政に大きな功績を残すことになる。
  いかんせんはじめての試みだが、ぜひとも成功させるためにも、冥加金の額が半端なものであってはならない。また、敵対するほうから苦情が殺到するような、一部の酒問屋の願いだけでも強くは[]しにくい。
  酒問屋の総意となすためには、有力ないくつかの下り酒問屋を願いの列に加えることが、神尾にとってなににも増して優先されるべきことだった。
「むう……」
  平岩屋は[うな]ったままだ。
  一度は胸を叩いて見せたが、下り酒問屋を数軒引き[]がすとなると、実際は並大抵のことではない。ここまでたどりつくのでさえ、どれだけの犠牲を払ってきたか。
  (一部は内村さん、あんたの手にも、それからお奉行さまの懐にも渡っているはずではないか)
  言いたいことが喉元までせり上がっていた。
  平岩屋は身分の垣根を超えて、踏み出した。
「内村さま、下り酒のほうはどこも、本家の当主がしっかりと[かじ]を握っております。しかもその当主たちは、そろってこの江戸にはおりません。なにより冥加金が上方にも波及することを恐れましょうし、とても一筋縄[ひとすじなわ]では……」
「ええいっ。[][]の、抜かすでない」
  言いも終わらぬうちに、平岩屋はさえぎられた。
「おなじことを何度言わせるのだ。お奉行にも、事情があるのだ」
  内与力は低声で強迫した。
  [とが]った[あご]をさらに尖らせて、つい先刻まで、額に汗を掻いてまで女の着物の[][くち]に手を差し入れていたのが嘘のように、内村は冷淡だった。
  平岩屋が練りあげた筋立てを、内与力は南町奉行にそっと打診した。
  奉行は飛びついた。が、あからさまに喜んだりしない。
  [おおむ]ね話を[りょう]としつつ、それでも
「万事遺漏[いろう]なきよう、まずは徹底して脇を固めよ」
  と、釘をさすことを忘れなかった。
  神尾備前守は、書院番士を皮切りに、御小姓番、御使番、作事奉行と、実直な仕事ぶりで地道に出世を重ねてきた能吏[のうり]である。が、 ときの老中に推挙されて長崎奉行に[]いてから、少々おかしくなった。
  長崎奉行といえば、大身[たいしん]旗本のだれもが渇望[かつぼう]する職務である。
  外交上、外国商人に重きを置かないとする公儀の意向から、当初は遠国[おんごく]奉行のなかでも地位は低く抑えられていた。
  それでも、一度なりと長崎奉行を務めあげれば、一代どころか、二代三代は潤うとされるほどの実入りがあった。
  千石の俸給と在任中に与えられる四千四百俵の役料[やくりょう]は言うに及ばず、御調物[ごちょうもつ]の名目で渡来[とらい]品の一部を関税なしの元値で買い取り、上得意のいる京や大坂にて高値で売り[さば]ける特権があった。
  また阿蘭陀[おらんだ]商館や中国人商人、地役人や長崎商人などから、定期的な献金があった。長崎警固にたずさわる筑前福岡藩や肥前佐賀藩をはじめ、西国の諸藩からも節季ごとの贈り物があった。
  高価な薬種油の、諸大名への斡旋[あっせん]も黙認された。
  こうした優遇が、ときに人を変節させていく。
  神尾備前守も本来は茶人であり、花鳥風月を愛する人であった。
  その神尾があやしくなったのは、江戸城で袖を振って待つ老中のためであった。
  正確には、老中に貢ぐことで、いずれは勘定奉行や大目付へと階段を駆け上がっていく、みずからの出世を確実にするためであった。
  そのためには己の懐にも、資金を貯えておく必要があった。
  当初の目的の、主と従とが入れ変わっていくのは早かった。
  ひとたび慣れてしまえば、人はさらに深みへと突き進む。
  四年ほども長崎奉行を務めたあと、神尾備前守は寛永十五年(1638)に南町奉行へと転身した。
  町奉行職とはいささか思惑違いであったが、昇進には違いない。
  したがって、これで終わりとする気などさらさらなく、すぐにも次の出世の階段が待ち受けているはずだった。
  そのはずが、しかしもう十八年も、おなじ南町奉行の席に座りつづけている。
  その間に北町では、何人の奉行が入れ替わったことか。
  安定感のある仕事ぶりが逆に足かせになったのか。あるいは神尾の出世を妬んだだれかが、長崎奉行時代の一部始終を逐一、執政たちに報告していたのかもしれない。
    平坦なまま、なにもないことは、神尾にとっては下り坂に等しい。思えばあれからというもの、ずっと長い下り坂がつづいてきた。
  いずれにせよ幕閣の顔ぶれはがらりと入れ替わり、当時の貢物[みつぎもの]はとうに効力を失ってしまっている。町奉行などでは、いまさら金が自由になるわけもない。ともすれば持ち出しのほうが多い。
  ことし還暦[かんれき]を迎える老中最高齢の松平伊豆守信綱でさえ、自分より七つも年下だ。残された時間の少なさに、神尾はぞっとする。
  そろそろ最後の大勝負をしてのけるときだった。
  が、神尾も幕府中枢の近くで[]まれながらに生きてきた男である。
  権力へと上がる階段で、滑り落ちていった同輩を飽きるほど見てきている。幕閣には手強[てごわ]い男たちがいるのだ。
  焦りは、往々にして目的達成への[さまた]げとなる。だからこそ神尾には、永くその自覚があった。わかってはいる。問題は残された時間だ。とにかく、時間がなかった。
  考えあぐねていたときに、内与力が耳もとで囁いた。
  酒問屋の株仲間の創設は、またとない切り札に思えた。乗らぬわけにはいかない。思いばかりが膨らんで、自制の[せき]が切れかかっていた。
  とはいえ、どう転んでも自分には火の粉がかからない、周到な準備だけはしておく必要があった。
  目の奥に欲望の火を燃やしている内村は、神尾にとって、本来が使いやすい内与力のなかでも格別に都合のよい男だった。