わい
わいがや倶楽部

たぶん、サイトで初めての、
連載時代小説。

第三十六回
僧形の男たち

  浪人どもに詰め寄られながらも、儀助はどうにかその場をしのいだ。
  町家の野次馬が消えるまで、船影で風を避けていようと先に立って歩き出した。
  そのときだった。
「待ちねえ、儀助」
  干してあった漁網の向こうから、頬かむりをした一団があらわれた。
「冷てえやな、儀助。本所に行くなら、おれたちにも声をかけてくれなきゃな」
  聞いたような声がして、見覚えのある頬の傷が浮かんだ。
「や、おまえは平蔵。……おう、そうかい、こいつはありがてえ。いい按配[あんばい]に駆けつけてくれたもんだぜ」
  儀助の後ろにいた浪人二人が、[あと]しざった。無理もない。儀助にせよ、てっきり平岩屋が助っ人をまわしてくれたのだと勘違いをした。
「こいつは笑えるぜ。はっはっは、うわっはっは」
  平蔵が転げまわるほどに笑った。
「おかしくってよ、ああ、笑い死にしそうだぜ。いいか儀助、ばかを言うねえ。このおれに、おめえを助ける義理がどこにある」
「な、なんだ」
「先に平岩屋からもらった金銀[かね]を、そっくりここに出しねえ。素直に出せば、まんざら知らねえ仲でもねえ、見逃してやるかもしれねえ」
  儀助が唇を噛む。
  敵が二手になった。
  平蔵の脇から、気短かな浪人がしゃしゃり出た。
「さっさと出すんだ」
  よほど金子に飢えていたのだろう、抜き身を振りかざして襲いかかった。
  儀助はかろうじて身を交わした。
「ちきしょうめ。やい平蔵、てめえ、いってえ、だれに頼まれやがった」
  こんどは儀助をかばうように、浪人二人が向き直った。金銀を出せと言われて、一旦は儀助を追い詰めた浪人たちが、また元の仲間にもどったのだ。
  気にせず平蔵以下の面々が、間合いを詰めてきた。
「そいつがだれか、知りてえか」
「言え!」
「おめえに火付けを頼んだ、徳蔵よ。おめえとは幼なじみの、あの徳右衛門さまよ」
「くそっ!」
  腹わたが煮えくり返る話だが、生きるか死ぬかの瀬戸際で、それ以上詮索する暇はない。
  儀助の本能が目を覚まし、匕首を抜き取った。
  人が入り乱れる戦闘がついに始まった。

  儀助は手[]れである。
  相手が[さむらい]でもなければ、めったに遅れを取ることはない。
  ただし、このときばかりは、いかんせん多勢に無勢に過ぎた。よく踏ん張ってはいたが、浪人の数で勝る平蔵一味によって、しだいに傷つき、追いつめられていった。
  息は上がり、もはや逃げる力もなくなっていた。
  両脇を固められ、目の前に浪人の切っ先が光った。
  いままさに、戦いの幕が降ろされようとしていた。
  が、終わらなかった。

  追いつめる平蔵方の浪人の背後に、すうっと人が立った。
  そうしておいて、闇のなかから突然、奴らの首筋に凍るような息を吹きかけたのだ。
  かけられたほうは、一瞬にして戦慄した。
「ひいゃーっ」
  刃物を手にした敵に首をさらしたら、それはたちまち己の死を意味する。無頼たちは得体の知れぬ恐怖に立ちすくんだ。
「な、なんで」
  目を凝らしていた頬かむりが、恐る恐る声を出した。
「ここに坊主が……いる……んだ」
  眼前の男たちは、いずれも闇に溶け込む黒衣をまとっていた。
  なかから悠然と、屈強な僧衣が前に出た。
「仏にだってな」
  くぐもった凄みのある声の主は、丹蔵だった。
「殺してやりたいと思うときはある」
  刹那、
  グォン!
  骨が砕かれた音がして、頬かむりが崩れ落ちた。
  あわてて仲間が丹蔵に刀の切っ先を向けたとき、間髪を入れず、両者の間にすうっと長身の僧が分け入った。
「どっちも、このまま行かせるわけにはいかない。船を襲おうとした償いだけは、充分に果たしてもらわなければならぬ」
  一人が、突き出していた刀を頭上に振りかぶった。
  が、その刀が降り下ろされることはなかった。
  細い影は一瞬にして相手の懐深くに入り込んでいた。
  どこにも力は入っていないのに、浪人は腕と手首の関節を決められて、身動きできない。頬がみるみる赤らみ、ゆがんでいく。と、まもなく刀を掴んでいた握り拳から一本二本と指が離れていった。
「ううっー」
  あきらめたような[うめ]きが洩れたとき、浪人の刀は若い僧侶の手のほうへと移っていた。
  ご丁寧にも、まるで手渡しで刀を譲り受けたような、流れるような一連の所作だった。

「ごらんなせえ、戌井の旦那」
  感心したように同心の顔を見上げた。
  鬼やんまの権次だった。
「あの、獣のようなごつい坊主は、違えねえ、灘屋の筆頭番頭ですぜ」
「そのようだ」
  同心戌井謹之助は、すこし離れた船陰から事の動きをじっと見据えたまま、微動だにしない。
「だとしたら、あっちの背の[たけ]えほうは、当主の市右衛門だ。ほかにも見たようなのが何人かいやすぜ」
「どうやら、おめえの言うとおりだ」
  戌井は先刻から、ことの始終にじっと目を[]らしていた。

  突然あらわれた手ごわい相手に数で対抗するべく、平岩屋に雇われた男たちは敵味方を問わず、たちまち和合した。
  一重二重に、無頼浪人たちが市右衛門を取り囲む。
  そのときだ。
  三吉が身をかがめ、こっそり人の輪から抜け出した。
  浜辺に打ち上げられたままの荷船の舳先に手をかけると、力まかせに波打ち際へと押し出した。
「兄い、こっちだ」
  三吉は儀助を助け出したかったのではない。
  お柳に預けた四十両を、片時も忘れていなかっただけだ。
  儀助は匕首をかざしたまま、いきなり背を見せて、三吉が待つほうへと走った。
  あっ、と気づいた平蔵以下が、あとを追う。
  幸い浪人たちは、坊主たちが足止めしてくれている。
  砂上の走りはもどかしいが、追う平蔵たちも足が砂に食い込んで思うようには進めない。
「兄い、もう少しだ」
  逃げおおせると踏んだ儀助は、振り返るなり、平蔵めがけて匕首を投げた。
  刺すつもりはなく、ただ相手をひるませ、互いの間隔を広げるために投げたのだが、はずみというものだろう。
  匕首はまっすぐに闇を切り裂き、平蔵の眉間へと突き立った。
  あっ。
  平蔵は叫ぶなり、両足で砂を掻き上げ、みごとに空中を一回転して、どさりと後ろに倒れ込んだ。
  想わぬ成り行きに、追ってきた男たちが棒立ちとなった。
「…………」
  腹のあたりがぴくぴくと痙攣[けいれん]し、痙攣した腹から砂がさらさらと落ちていく。
  もう息絶えるしかないだろう。
  儀助が船に飛び乗るや、三吉はざぶざぶ水に分け入りながら、勢いをつけて一気に船を先の海へと追いやった。

  儀助が駆け出したとき、追うべきかと清四郎と仲也が互いに見交わした。が、丹蔵が制止した。
「無駄だ。間に合うまい。奴とはまた、どこかで会うかもしれない。そのときでいいだろうよ」
  清四郎と仲也は控えた。
  丹蔵は一切の動きを止め、じっと一点を凝視している。
  耳もとで、曽祖父が最後に言い置いた言葉がよみがえる。
  (そのいのち、果つるとも……)
  このとき、わが主と仰ぐ市右衛門はうつ伏せの船を背に、五、六人の浪人どもにぐるりと取り囲まれていた。しかし丹蔵は、主を見つめて助勢しようともしない。
  肚は決まっている。
  このていどの男どもに手こずるようでは、福嶋家の頭領ではない。
  そうと知ってか知らずか、囲みの輪はじりじりと[せば]まっていく。
  履きものを脱ぎ捨てた浪人たちの足指が、砂を噛む。
  が、市右衛門は表情すら変えない。まっすぐに伸びた肢体は、砂上でもまったく崩れない。
「覚悟しやがれっ、てんだ」
  市右衛門の呼吸はふだんと変わらない。
「おまえたちをこのまま野放しにしては、お稲荷さまの[ばち]があたろう」
「ほざくな、若造」
「なまじ腕があるから、刀を持ちたがる。踏んぎりがつくようにさせてもらおうか」
  浪人たちは圧倒的に有利な形にあった。
  一気に間合いが詰まる。
  意を決した中央の二人が踏み込もうとした瞬間、待っていたかのように市右衛門の剣が敵の陣形の中央をまっすぐ横に[]いだ。
  もとより、必殺の剣ではない。
  が、伸びてくる剣にひるんだ前の二人が予告なく後退したことで、左右の浪人の肩や鞘が交錯して前に出られなくなった。
  半円に取り囲んださいの攻撃方の、唯一の弱点だった。
  ここに空白の時が生じた。
  刹那、市右衛門は左方へと旋回し、浜辺を舞うように剣を踊らせた。
  囲みはなんの役にも立たなかったどころか、それぞれの動きを奪って、浮足だった浪人どもと市右衛門との結局は一対一の攻防の連続となった。
  勝敗は明らかだった。
  市右衛門が一歩踏み出すたびに、絶叫が巻き起こった。
  二度と剣を握れぬように、浪人たちは次々と手首を斬り落とされていく。
  いまは夜の闇が隠してくれてはいるが、だれが落としていったか、朝になれば芝浜の海岸線に奇妙な忘れ物がいくつも転がっているはずだった。

「おーい、てめえら」
  三吉のめいっぱい弾んだ声が、浜に向けて発せられた。
「おととい来やがれっ、てんだ」
  曲がった首を精一杯伸ばして、大川河口に向かっていそいそと櫓を漕ぐ三吉と、遠い闇を[にら]んだまま黙りこくる儀助が、海上を遠ざかっていく。
「へえい四十両、四十両……儀助兄い、こりゃなんとも結構な道行きになりやしたねえ」
  驚いたことに、わずかではあるが、三吉の首が自由を取りもどしている。
「そうさなあ。この三吉さまは、兄いにとっちゃ命の恩人みてえなもんだ。昔っから言うじゃありやせんか。人のいのちは尊いものよ、ってね。ですから、まあ、はっきり申せば、へっへっへ、そのうちの、お幾らほどいただけるんでやんしょうかね。ね、兄い、聴こえてやすかい。なんならあっしが、お柳さーん、待ってておくれようって、こっから呼んでみやしょうかい」
  三吉のつぶやきが、どうにも止まらない。