わい
わいがや倶楽部

たぶん、サイトで初めての、
連載時代小説。

第二十八回
株仲間の創設

  あちこちで、槌音[つちおと]が高く鳴り響いていた。
  八月には、浅草田圃[たんぼ]に新吉原が完成するらしい。寄ると触ると、その噂でもちきりとなった。
  せいぜいが職人の手間賃で遊べる深川の櫓下[やぐらした]か、板橋宿の飯盛[めしも]り女しか相手にできないはずなのに、新しもの好きも手伝ってこのときばかりは精一杯に背伸びをしてみせた。
    が、熱はすぐに冷めた。
冷めるしかなかった。 
  もともと廓に上がる金なんぞ家中ひっくり返したって見つかるわけがないのだから、吉原で最も嫌われる「冷やかし」で詰めかけるしかなかった。往きはよいよい、帰りはつらい。むなしさを何倍にも膨らませてとぼとぼ帰るしかなかったから、しばらくしたら長屋の男たちの口の端にも上らなくなった。

  酒を生業[なりわい]とする者たちは、遊びどころでなかった。
  株を持てなければ今後はいまの商い自体が許されなくなるとの噂が、まことしやかに飛び交いはじめたからだ。
  そして九月に入った。
  株の所有者のみに酒の流通を許可する、酒株制度の実施が決定され、まずはその旨が老中松平伊豆守より町奉行に伝えられた。
  寄る年波というものか、ひどいときには一日に何度も痛む腰をさすりながら、南町奉行神尾備前守は[うやうや]しく承り、下げた頭の下で、畳に向かってしてやったりの表情を浮かべた。
  そのためになかなか顔を上げられなかったのだが、還暦を迎えた老中には、至って殊勝な振る舞いと映ったらしい。
「まだまだお身体を、[いた]わりなされ」
  年上の奉行にねぎらいの言葉をかけた。
  帰路の駕籠のなかも、奉行所にもどり着いてからも、晴れがましさから神尾は笑いを噛み殺すのに苦労していた。
  いまは自分の居間にいる。
  だれもいない。
  脇息を前にだらりと両手を垂れ、まだ明るい陽を受けた午後の障子のほうを向く。
  長かった。
  途方もなく長い時間が過ぎていったような気がする。
  思えば、自ら掘った穴にはまり込んでから、いつ罷免されるかとびくびくする気鬱[きうつ]の日がつづいてきた。酒に酔い、わしはもう終わったのだと、家族に弱音も吐いたこともある。
  が、それら一切合財を穴埋めしても、なお有り余るほどの朗報だった。
  当初は素直に、これで助かったと思った。
  しかし、現実にわが身が生き返ってみれば、そもそもこれが元々の道であり、だれかが無理矢理にひん曲げていたものとも思えてきた。
  人生の糧とすべき苦い記憶は、さらに彼方へと遠ざかっていく。
  神尾が強気を取りもどしたのは、ほかでもない。
  幕府にとってあたらしい徴税の道を、自分の手で切り拓いた事実だった。だれがなんと言おうと、先駆けとなった功績は揺るぎないものだ。
  老中が「まだまだお身体を」と言い添えたのは、わが提案への評価であり、向後も精々仕事に精進せよとの激励とも受け取れた。
  陽が傾いて障子が赤く染まりはじめても、神尾はだれも呼び入れなかった。
  生気がもどり、顔の筋肉に張りがもどっている。
  首を洗って過ごした日々などなかったように、神尾の胸中はいつしか活火山ともなって、さまざまな欲と混じりあって、激しく噴煙を上げていた。

  さてと。
  あらためて思いを巡らしながら、使える駒が足りないところに気がついた。
  長崎時代から飼いならしてきた内与力の内村清十郎は、大火が起きる前から行き方知れずになっていた。一度は叱りつけ、内与力の職務を取り上げたものの、こうして老中会議の裁可が下ってみると、手もとに置いてお  きたい男であった。なにより、すべては奴の提言からはじまったことであった。
  そのまま謹慎しているものと思いこんでいたら、突然に姿を消した。新天地を求めて旅立ったか、あるいは火災に巻き込まれたとも考えられる。いずれにせよ内村の不在は、不都合極まりない。
  翌日になって神尾は、登城前にもう一人の内与力を呼びつけた。
  鈴木次郎兵衛はただちに、平岩屋へと向かった。
「なに、確かに、南町の内与力と告げたのか」
  名も知らぬ別の内与力が直々に訪ねてきて虚を突かれたが、期するものがあったか、平岩屋はみずから玄関まで出迎えて丁重に膝をついた。
  客は奥の客間へと通された。当然の扱いだ。
  鈴木という内与力は、今朝早く奉行に呼び出されたところから説明をはじめた。
  双方が上機嫌である。
  酒株制度の名が出たところで、平岩屋はおもわずぽ―んと膝を打ち、
「それはそれは、誠にようございました」
  喜色を満面に表した。
「ずっと気にかかっておりましてね。いえ、お上の大事ともなれば、この平岩屋の商いなどどうでもよいことにございます。すべてはご公儀のため、問屋衆のため、ひいては江戸の町衆のため。いまとなってはこの平岩屋徳右衛門、私心を捨て、命がけでお奉行さまにお願い申した甲斐がございました」
  平然と言い放った。
  つられて内与力も破顔した。
「さすがに、お奉行がまっ先に頼られる問屋だけのことはござる。平岩屋どの、日頃よりじつに高徳なお考えをお持ちでござるな。この鈴木次郎兵衛、感服致した」
  やっと潮目が変わったようだ。これでうまくいく。
  平岩屋は傍目[はため]にもそれとわかるほど、高揚していた。
  ここまではよかった。

「ひょっ、鈴木さま。いまなんと仰せになりましたか」
  あらたな茶と菓子が運ばれてさらに話しが弾んだが、かれこれ四半刻も過ぎたかというころになって、内与力が伝える中身と平岩屋の思惑とがどうも噛み合わなくなってきた。
  平岩屋がまず引っかかった。
  (つかぬことをお伺いしますが)
  と前置きして、問いただした。
  鈴木は善意の笑みを浮かべて答える。
「だからの、いまも申したとおりだ。地廻り問屋と下り酒問屋の双方それぞれに、至急、株を手に入れたいと願う者の名簿を作成して株数を決定し、同時に組合の肝煎以下の人選を報告してもらいたい」
「双方それぞれ、ですと。これはまた異なことを」
  よくよく聞いてみると、、平岩屋自身が思い描いていた持ち株制度とは、その中身において根本から大きくかけ離れていた。
  幕府の決定は案に相違して、下り酒は下り酒で、地廻り酒は地廻り酒で、別々の組合をつくれというものだった。
  両方を扱ってきた者は、扱いの軽重によっていずれかに振り分けられる。平岩屋は当然、地回りの酒問屋に組み入れられることになる。
  これでは平岩屋がうまく肝煎[きもいり]に収まったとしても、敵対する下り酒問屋の内部にはまったく手を下せない。
  えびす顔が、ぴたりと止んだ。
  つい今しがた内与力の鈴木から、感服するほど高徳な商人だと持ち上げられた平岩屋だったが、あからさまに態度を変えた。
「ほかになんぞ、ございましょうや」
  まるで、ないなら帰れ、と言っているような口調である。

「いや、ここからが肝要なのでござる」
  鈴木が追い打ちをかけた。
  公儀は株仲間を認める代わりに、じつは「一同之申合せ堅く停止」として、厳しい歯止めまで用意していた。
  具体的には、新規に参入しようとする者から礼金を受け取ったり、株を持つ者同士が結託して空店[あきだな]を貸さないなどの嫌がらせや、他国の商人が株仲間の問屋外の商人に酒を卸すことを妨害する行為などを、きつく禁じたのである。
  直接には当たらぬにしても、それらはことごとく平岩屋が得意としてきた裏の行為に通じている。荒技が使えぬよう、お[かみ]からはっきり申し付けられた形となった。
  どうにもならん。
  新規参入者からの礼金がいけないと言うなら、奉行や与力、同心が持っていった袖の下の礼金はどうなるのだ。
  見事に手のひらを返された内与力は、首を傾げつつ、ぷうーと頬を膨らませて早々に帰っていった。

  酒の材料ともなる米は、第一の食糧であると同時に通貨としての役目も果たしていて、幕府経済の根幹をなすものだ。
  大名家では米の流通量いかんで藩の収入が大きく左右されるため、新田開発を急ぐとともに、元来その使い道は領主によって厳しく統制されてきた。酒のほか、酢、醤油、味噌などもすべて米や米[こうじ]を原料とするものだから、なおさらだった。
  農民にとって豊作はなににも増してありがたいことであったが、俸給を玄米でもらう武士にとっては米価が下がり、実収入が減ることを意味した。
  ここに米穀経済の大きな矛盾[むじゅん]があった。
  この矛盾に追い打ちをかけるのが、徳川将軍家の旗本・御家人などの存在である。
  かれらは総勢二万二千人という大人数に比して役職の数が圧倒的に足りないから、一つのお役を持ちまわりで勤めたにしても、大多数がなんの生産にもかかわらず、ひたすらただ飯を食らっているのである。
  米をつくる者たちがろくろく米を食えず、つくらない者はこう米価が下がってはやっていけぬと騒ぐ。
  つまりは武家制度そのものが揺らぐこととなる。
  こうしたことから幕府は、とりわけ米価の調整に心を砕いていた。当然、その時々によって、酒造に回せる米の量が変わってくる。
  しかしこの年、明暦三年には、酒造において新興である京の伏見でさえすでに八十三軒もの蔵元があったほどで、全国で盛んに酒造が行われていた。
  今回のお触れは、あくまで米の生産量に応じて酒造米にまわす米の量を、株仲間で自主的に調整させることを表向きの大義としていた。
  しかし本心は、公儀の財政難を[まかな]う上納金の徴収を目論[もくろ]んだものであることは、だれの目にも明白であった。
  ここに徳川幕府は、ついに町人から税金を取る意志を明らかにしたのだった。

  平岩屋の怒りは納まらなかった。
「なんてことをしやがる」
  奉行所も奉行所だ。
  こちらの言い分を聞いたようなふりをして、肝腎のところはなにも組み入れていない。それでいて、上納金の道筋だけはしっかり確保した。
  まんまと一杯喰わされたわけで、
[かみしも]なんぞ着ちゃいるが……実のところは禿げ鷹じゃねえか」
  己のことはともかく、平岩屋は吐き捨てた。
  確かに株仲間はできた。地廻り酒の商売をわずかな人数で独占できるようにもなった。
  が、[]ぎ込んだ金を思えば、とても喜べる内容ではない。
  公儀のご威光を背景に、下り酒と地廻り酒の二つの問屋連中を束ね上げ、江戸では関八州の地廻り酒を優先させる。つまりは下り酒問屋の扱い高を限定しつつ、あわよくばその権利を侵食していく。
  名のある絵師も驚嘆するようなみごとな出来栄えだったが、描いた絵図はあえなくただの紙屑と化した。むしろ冥加金徴収の責務を約束させられた形となり、背負う荷物のほうが重くなった。
  こうした結果を受けて、平岩屋に対する問屋仲間の風当たりも強くなっている。
  かれらに共通する思いは、
「新参者が、よけいなことをしてくれた」
  だった。
  河内屋に寝返えられ、仕入れた下り酒を[さば]くのに難渋[なんじゅう]して大損をした直後である。
  取れるだけ懐に入れて、あれから内与力の内村清十郎はまったく姿を見せない。
  未曽有のあの火災で、ほんとうに行き方知れずになったのか、ただ居留守を使っているだけなのか、平岩屋にはよくわからない。
  突然あたらしい内与力が訪ねてきたが、これまでに入れ揚げた金のことをかれは知らない。またおなじことを繰り返されるのなら、このまま内村があらわれるのを待っていたほうがいい。
  奉行は暗に見返りを求めてきたのだろうが、もはや奉行所には一分たりとも金をばらまくつもりはなかった。
  内与力は憮然として帰っていった。
  奉行所が使えぬのなら、あとはこちらでやるだけである。
  敵は、はっきりしている。
  伊丹屋でも摂津屋でもない。
  灘屋だ。
  だが、[さむらい]あがりの奴らには正面からの攻めでは勝てないだろう。相手が予想もしない方法、一発で仕留められる荒技が不可欠だ。
  なあに、この世に弱みを持たぬ者など、いやしない。
  人の弱みに乗じてのしあがってきた男には、その確信がある。
  逆襲を誓ったかれは、執念の戦いを仕掛けようとしていた。