わい
わいがや倶楽部

たぶん、サイトで初めての、
連載時代小説。

第二十六回
一輪の花

「伍吉いー」
  川向うから、濁った声がした。
「おめえまた、妙な箱なんぞ[かつ]いで、泥棒の途中かあー」
  すっかり見通しのよくなった新堀川の向こう岸から声をかけたのは、同心戌井謹之助から手[ふだ]を預かる、鬼やんまの権次だった。
  伍吉は対岸で手を振る権次を認めたとたん、あ、と声を発して、がくりと頭を[]れた。
  目明しに盗人[ぬすっと]呼ばわりされて喜ぶ者はいない。
「もおう、見ればわかるでしょ。陶斎先生のお手伝いですよ」
  伍吉が両手で、薬箱を高く持ち上げた。
「はっはあーん。あんまり働きがわるいんで、とうとう灘屋を[][]されたか」
「ば、ばか言っちゃあいけません。薬が足りなくなったから、いま診察所に取りに行ってきたところです」
「いまさら医者に弟子入りしようたって、おめえの[おつむ]じゃ、ものにはなるめえ。よしたがいいぜ」
  大勢の怪我人を抱えて、一時[いっとき]だって惜しいときだ。
  かまわず行こうとしかけた伍吉だったが、
「あのね」
  もう駄目だ、といった風に立ち止まって声を張り上げた。
「言っときます。いまは、権次さんと遊んであげられる暇なんぞ、ありませんから」
  頭のてっぺんから湯気を立てて、さっさと行ってしまった。
「はっ?」
  きょとんとして、権次はからめていた両の指を解いた。
「ねえ旦那。するってえとあの小僧は、いままで、あっしに遊んでくれていたことになりやすねえ」
  戌井がおもわず肩の傷口に手をやった。
  しばらく養生をしていたが、今日、久しぶりに町廻りに出たところだった。
「笑うと痛むって、言ってんだろが。頼むぜ、おまえは」

「灘屋にできることは、すべてしてください」
  海福丸からもどってすぐに、市右衛門と丹蔵が全員に言い伝えた。
  燃えたのは、霊岸島一帯も例外ではない。
  とくに亀島川に近い町の焼けようはひどかったが、いまだ埋立て途中で空き地の多い土地柄だったから、所々に沼地や溜池が横たわっており、これらが存外に火除けの役割を果たしてくれた。
  もともと灘屋は、ようやく商家にも広がりはじめた屋根瓦を用いており、建屋の周囲はぐるりと焼杉をめぐらしていた。杉板の表面を黒く焼くことで腐りにくく、燃えにくくしたものだ。
  いよいよという段になって急に風向きが変わったことも幸いしたが、瓦屋根と焼杉板とが、寄せてくる火の粉をしっかりと[]ね返してくれた。
  そのせいで灘屋は、一部を被災しただけにとどまっていた。

  品川沖に停泊していた海福丸の船頭たちは、出航を遅らせて復興の手伝いをしたいと申し出てくれたが、市右衛門たちは好意に感謝しつつも天候のよい日を選んで上方へと出帆してもらった。
  早くもどってもらいたい事情もあったから、船頭には兄への手紙を託した。
  灘屋は酒問屋である。しかしいま、江戸で酒を飲んで浮かれているわけにはいかない。
  書状には、次回は酒樽の数を減らし、できるなら復興に欠かせない衣類やふとん、穀物、医療具などの物資を積んで、なるべく早く再訪してほしいと願っておいた。
  一時期、船で預かっていた子らのうち、二人を除いて親と再会できた。長屋のおかみさんたちはとめどなく涙を流し、灘屋の面々の手を握りしめて離さなかった。
  親が見つからない二人は当面、灘屋で育てることにした。
  市右衛門と丹蔵の命を受けて、いま灘屋は座敷から廊下まで、怪我人や病人、身寄りのない子どもたちで埋め尽くされている。
  当主以下、男衆の全員がそろって空き蔵でざこ寝していた。
  灘屋が懇意にしている医師、梅宮陶斎はあちらこちらに駆り出されて薬を調合する間もない有様で、二日に一度まわって来てくれるのがやっとだった。
  丹蔵は、丁稚のなかで一番体躯のいい伍吉に薬箱をもたせて陶斎の往診に張りつかせ、陶斎方に住み込んで手伝いをしている面々を薬の調合に専念させていた。
  それでも銘々[めいめい]が、手がまわりきらない繁忙のなかにあった。
  市右衛門らはわずかでも手が[]くと、生き残った者たちを見てまわった。
  そっと肩に手を置くだけでいい。
  江戸の町は、なにもかもを失って、打ちひしがれている者ばかりだ。元気を出せと言ってもはじまらないし、あしたのことも考えられないでいるのだ。
  泣けるだけ泣いて、やがて涙が涸れ尽きたら、それからゆっくりと歩き出せばいい。
  市右衛門たちはその思いで、焼け跡に目を凝らしていた。

  伍吉もそうだが、行儀見習いのお千代も奮闘していた。
  お千代は笑うと白い前歯が二本、可愛くのぞく。
  子うさぎのようだと、だれかが言ってから「[]の花」の愛称がついた。
  火災のあと灘屋には、大火傷を負った者や落下物で肩をざっくり割られた者など、重傷の者がたくさん運び込まれた。そんな怪我人たちを見て、お千代は最初、気を失ったそうだ。
  ところが近頃では、それにもすっかり慣れた。
  陶斎先生に言われたとおりに、傷口の消毒や膏薬[こうやく]の貼り替え、[せん]じ薬の手はずなどをてきぱきとこなしていく。はたから見ても目のまわる忙しさなのだが、赤い襷を掛けて患者の間を飛び跳ねている。
  かんたんには希望を見出せないなか、灘屋の卯の花は、それぞれの胸のなかに一輪の小さな花を咲かせつつあった。