わい
わいがや倶楽部

たぶん、サイトで初めての、
連載時代小説。

第十回
蛇と[むじな]

「見ねえ、権次。富士のお山は、今日もご機嫌のようだな」
「へい、まったくで」
  江戸一番の[にぎ]わいを見せる日本橋のひときわ高いまん中に陣取って、めずらしくやさしげな口調で戌井謹之助が手下に声をかけた。町廻りをする同心の特権で、朝からだれもいない女湯に一人[]かって、今朝はさっぱりとしている。
  一日千両とされる魚河岸は早朝の商いを終えて静かなものだが、さすがに天下一の往来とあって、橋上を行き交う人はあとを絶たない。そんな人込みのなかでも、はた迷惑をかえりみず、同心はぐいっと思うさま両腕を伸ばしている。
「こんな日に、なんだな」
「へっ」
「さしあたって行くところもないってのは、ありがてえもんだ。で、おめえなら、この先どうする?」
  戌井が他人の意見を聞くことは、めったにない。
  ことさら権次に[たず]ねてみたのは、とうに当たりを付けていながら、相方からそう言わせたいだけだ。
  言ったなり、戌井は興もなさげに川面をのぞいている。
  橋桁[はしげた]を折り重なってボラの大群が取り巻いていた。
  春先の江戸の風物詩ではあるのだが、どいつもこいつも押し合い[]し合い、餌がほしくて大きな口をぱくぱくさせている。
  問われた権次は、
「そうでやんすね。こういうときはゆるゆると、例の道筋でもたどりやすか」
  鼻の下を伸ばし、わざわざ空っぽの袖を広げてみせた。
金目[かねめ]筋をまわれってか」
  戌井はあーんと口を開け、[かゆ]くもないのに、しきりに頬を掻いている。
「旦那。ま、そういうこって」
  [][]をしていた権次の手が上に返って、まるで物貰いの仕草になっている。
  つくづく正直な男だ。
  (ボラか、おまえは)
  戌井は構わず、すたすたと橋を下った。

  明暦二(1656)年の夏も、終わりに向かっている。
  戌井謹之助が勤める南町奉行所は、お城に架かる呉服橋内にあった。
  このころ本所や深川、浅草、小石川、牛込、市谷、四谷、赤坂、麻布などはまだ代官の支配下にあり、南北両町奉行所の管轄には入っていない。
  それでも同心は南北で五十人ずつしかおらず、町廻りという専門職も設けられていなかったから、通常の役所業務から人を割いては市中を歩かせていた。
  町はどんどん拡大していたし、交代で務めるにしろ、一人の同心が担当する地域はかなりの広範囲に及ぶ。
  なかに一人、蚊帳の外がいた。
  それが戌井であるのは言うまでもない。
  どこかでよほどの大事件が出来[しゅったい]しないかぎり、かれが頻繁[ひんぱん]に巡回する地域はいつも定まっている。古くからの大店 [おおだな]がいくつも並ぶ日本橋室町、尾張町から京橋あたりである。
  ただし例外があって、いま一つ、目を付けている地域があった。
  むろんのこと物を売り買いするには人が集まる日本橋の大通りがいいのだが、廻船で運ばれてきた諸国の物産をまず受け止めるのは、江戸湾河口に居を構えた別の大店たちである。埋め立てられて日は浅いが、海運と物流とで急速な発展を遂げてきた霊岸島の、なかでも新堀川沿いにひらけた両岸が目下[もっか]のそれである。
  同心戌井がたびたび運河づたいを歩くのは、人と物の往来を見通せるだけでなく、海からくる潮の香りにどこやら金銀[かね]の匂いが混じるからだ。

  江戸湾は遠浅である。
  座礁[ざしょう]の怖れがあり、また江戸城防御の意味合いからも、他国から押し寄せる弁才船[べざいせん]などの巨大な船は岸までたどり着けないことになっている。
  慶長二十(1615)年五月、大坂夏の陣にて、徳川幕府は豊臣家の血すじを根絶やしにした。かねての宿願を果たしたわけだが、それでも不安は拭い切れず、二代将軍と三代将軍の代において豊臣恩顧の大名を中心に、幕府成立に功績のあった者までも執拗に改易と減封を行った。
  関ヶ原の戦いから五十年後にあたる慶安三(1650)年までに幕府がかれらから没収した石高は、じつに千八百八十七万石に及んだ。
  改易された大名たちは、その日を境に忽然と歴史の表舞台から消えてしまった。
  しかしかれらは、命までも奪われたわけではない。突然に禄を失った藩主や家臣、その家族たちは膨大な流浪の民と化した。
  徳川家は政策上、なにより公儀への忠誠を求めている。
  ところが、五大老の筆頭であったとはいえ、豊臣家の家臣にすぎなかった家康自身が主家を滅ぼしたのである。かく言う徳川家こそが稀代の逆賊であることを、人はまだ忘れていない。おまけに豊臣家が貯め込んだ金蔵を消耗させ、あげく多くをわがものとした大泥棒でもあった。
  その張本人が忠義を尽くせとは、片腹痛い。
  世は、表面の静けさとは裏腹に、西国を中心として、いまだ徳川に屈服しようとせぬ不穏な輩があちこちにひそんでいた。
  それでなくとも江戸城は、海岸からの距離が近い。
  各所から一斉に攻め上がられると[もろ]い弱点を、永く抱えたままだった。
  幕府は万一の事態を憂慮[ゆうりょ]し、寛永十三年(1636)に神田川沿いの高台を崩した土砂で順次埋め立てを開始し、まずは八丁堀を内陸に組み入れた。
  元からあった寺院の大半を移転させ、城の防備を兼ねて、幕臣である与力同心の町へと移行させていったが、まだまだ充分とは言えない。
  将軍がいる江戸城の防御線は、もっともっと強固でなければならない。
  一方で、人が住む土地も不足していた。
  人口は急速に増えていたし、徳川家臣団だけでなく、参勤交代によって諸藩の大名たちが連れてくる大量の家臣を江戸に住まわせなければならなかった。
  幕府はさらに海寄りの、湾に突き出た中島と呼ばれる離島に手をつけた。こんにゃく島の別名をもつ、六町四方ばかりの沼地である。
  この新開地を、のちに浄土宗総本山知恩院三十二世となる雄譽霊岸和尚に下げ渡して埋め立てさせ、道本山霊岸寺を建立した。
  島は寺名にちなんで、霊岸島と呼ばれるようになった。
  ただし、霊岸島から八丁堀に渡る橋の数は制限した。一気に攻め上がられないがためである。
  その後さらに埋め立て地が拡張され、所々に火除け地のような沼地を残したまま、江戸の海の玄関が整備されていった。
  そしていまはそこに灘屋たち酒問屋をはじめ、有力な廻船問屋や材木商などが立ち並ぶ。

  上々の天気だった。
  戌井は懐を開き気味にして風で膨らませ、日本橋を下り、迷うことなく霊岸島へと歩いてきた。
  訪ねる先は八丁堀寄りの、霊岸島に渡ってすぐのところにあった。
「常陸府中 平岩屋」
  と彫られた大仰[おおぎょう]な看板を認めた同心はにんまりとして、店先に積まれた四斗樽をぽーんと叩くと、勢いよく暖簾を跳ね上げた。
「おう、主はいるかえ」
  野犬の唸りのような、低く野太い声が土間に響きわたった。
  およそ人相のよくない男が応対に出たが、
「呼びねえな」
  ひと言発したなり、戌井はさっさと帳場の前で大あぐらをかいた。
  主に言われたのだろう、同心は面倒くさそうに男に連れられて客間へと移動してやったが、小者が入れ替わり茶と菓子を運んできたあとも、肝腎の主があらわれない。
  蒸し暑いなか、じりじりして待たされている。
  戌井は奉行所でも指折りの、せっかちな性分なのだ。
  (舐められたもんだぜ)
  そう思うと、我慢がならなくなった。
  突然、茶碗を投げつけたと思ったら、障子が震えるほどの胴間声[どうまごえ]を張り上げた。
「なんだあ。お奉行さまと仲良しじゃ、同心あたりにへこへこできねえかあ」
  腹の底から絞り出した声である。
  土間で聴いた権次がおもわずうっと喉を詰まらた。が、すぐに考え直して、
  (早速やってなさるぜ、旦那は)
  こんどはくっくっと笑いを噛み殺した。
  効果はてきめんで、奥から平岩屋徳右衛門がすっ飛んできた。
  客間に来てみれば、当の同心は部屋の真ん中で盛大にあぐらをかき、悠然と十手[じって]の先で背中を[]いていた。
  なんかあったか、と言わんばかりの、まるで木で鼻を[くく]ったような態度である。
  それから、ふっと十手の先に息を吹きかけ、ゆっくり袂で磨いてから、同心はくるりと向き直った。
  苦虫を噛み潰して平岩屋が低頭した。
「おめえのことは、いろいろ耳にしているぜ」
  向き合うなり、意味深な言葉を投げつけた。
  なにについてとも、だれから聞いたとも、言わない。
「さようで」
  一瞬、あばた[づら]を曇らせたが、平岩屋はすっとぼけた。
  内与力と詰めている[はかりごと]は、あくまで奉行所の最上層部との内々の話である。同心ごときは立ち入れないと考えるほうが自然だ。
  しかし平岩屋には、[さぐ]られて痛い腹がほかにいくつもあった。
  評判のわるい同心が、またなにを言いに来たか。猪首[いくび]がいっそう肩に食い込んで、不快さがくっきりと面上にあらわれていた。
  ところが、次に同心の口からこぼれ出た台詞は、意表をつくものだった。
「まあいい。万事、うまくやってくんねえ」
  平岩屋は、えっと小さく叫んで、口ごもった。
  すぐには意味が呑み込めない。
「なあに、お奉行の神尾備前守さまからも、ざっと耳打ちされているのでな。あいさつがてら、ちょいと[のぞ]かせてもらったのよ」
  奉行の実名が出たところで、平岩屋はやっと事情を察した。
  お奉行さまや内与力さまと通じているのなら、最初[はな]からそう言ってくれればいい。
  あらためて同心を見つめると、まんじゅうをわしづかみにして頬張っている。
  そういう性質なのだろうと納得したか、平岩屋は満足げに二度三度とうなずいて立ち上がると、こんどは間髪を入れずにもどってきた。
  最前とは足の運びまでが違っている。
「わざわざお出ましいただきながら、とんと、気のつかぬことでございました」
  くっつかんばかりに座り直すと、素早く相手の[たもと]に手を差し入れた。
  固いものが擦れ合う、戌井の好きな音がした。
  [たもと][とが]りようからして、二朱金二枚の見当だろう。
「こいつは済まねえな。ところで、河内屋の一件だが、その後の首尾はどうだえ」
「そこまでご存じで。しかし戌井さま、いささかお声が高うございます」
  徳右衛門は満面の笑みで応えた。
  おためごかしを言われているとは、露ほども思っていない。
「なあに、追いつめられた[ねずみ]は、ほかに逃げるところもございませぬ。あの男、二つ返事で承諾しましたよ」
「上々のようだ」
「すべては内与力さまのご指示どおり、河内屋の名で買い付ける上方の荷は折半[せっぱん]して引き受ける。河内屋はなけなしの金を持ってくるでしょうが、いえね、あの男に大層なことができるわけもございません。足りない分はこちらで用立てる。そう持ちかけましたら、問屋の主ともあろう者がみっともない、ぽろぽろと涙までこぼしましてね」
「だろうな。可哀想だが、いずれ河内屋は素っ裸になって放り出される。そこにおめえか、あるいはおめえの息がかかった別のだれかがすんなりと収まる。おう、平岩屋、てえした悪党じゃねえか」
「これはまた人聞きのわるいことを……ま、河内屋は、数日の[のち]には上りの弁才船に乗せられて、相模灘から遠州灘へと向かっていることでございましょう」
  平岩屋は内与力の内村から、このたびの株仲間創設にはなにより奉行自身が前のめりになっていると聞かされている。
  頼もしいかぎりではあるが、直接に奉行と言葉を交わしたことはない。懸念があったとしたら、内与力を通しての、ただ一本の線だけに縋って進めてきたことにある。
  ところがここに、なんの前触れもなく、ふらりと奉行所同心がやってきた。
  おなじ南町の別の役人の訪問を受けたことで、平岩屋は奉行所全体の強いあと押しを確信した。
  河内屋は、ほぼ手中に入れた。もはや心配事は、無きに等しい。
「なんぞ、このおれに手伝えることはあるかえ」
「手はずはもう、充分に整っております。留守中の用心のために、わたしどもから河内屋のほうに人が詰めることになっております。ここだけの話ですが、すでに印形[いんぎょう][][]も承知しておりますれば」
「事が済んでから、河内屋が騒ぎ立てたら……」
「よしんばそのときには、川向うの本所におります手の者が、すぐにも解決してくれましょう。おっと、これは口が滑りました」
  本所は奉行所の管轄外だ。だから戌井もさほど詳しくはないが、南割下水[わりげすい]に面した三笠町あたりには、ならず者や無宿人たちが隠れ暮らす一帯があると聞いている。
  すでに奴らを取り込んでいるような口ぶりだ。儀助とか言った番頭あたりが、そっちの元締めとつながっているのだろう。
上々吉[じょうじょうきち]だ。なら、しばらくは、吉報[きっぽう]をたのしみに待っていようかい」
  戌井は、奉行と内与力が描いているおよその絵図を読み取った。
  これ以上の問いかけは無用だった。
「ただしおれは、内村さまとは別に動いている。お奉行からの直々[じきじき]のお指図でな。内与力もご存じない話だから、そこのところは心しておいてくれ。お奉行さまのご機嫌をそこねてもならぬゆえな」
  肝腎なところには、しっかり太い釘を打ちつけておかねばならない。
「邪魔したぜ」
  上がり框で立ち止まった戌井は、背中でしゃべっている。
「困ったことがあったら、おれの手先にでも声をかけてくんな」
  雪駄[せった]の裏の[かね]の音に、袖の二朱金のかち合う音が重なりあった。
  外には、まだ青い空が広がっていた。
  こんどは権次に、どこへ行くとも訊かない。
  同心と目明しの、一日の仕事が終わったようだった。
  鬼やんまが、舌なめずりしてあとを追いかけた。