
目次
第一回
江戸の朝
いくぶん青みがかった空の下を、濃い霧がたえまなく海面に押し寄せてきて、大川をほんの少しさかのぼったあたりで、どれもがはかなげに消えていく。
北の国では、夏の朝に海から流れこむ霧は濃く厚く、冬の霧は淡いという。前に行き会った弁才船の船頭がそう話してくれた。
たぶんこれが、その海霧というものなのだろう。
大川河口の、夜が明けようとしていた。
霊岸島新堀河岸をまっすぐ東へ向かうと、だんだんと汐の香が濃くなって、島の東北の突端にあたる大川端町へと出る。
その角地に、造営されてまだ日の浅い稲荷社があった。奥行きばかりが長く、植えられた松の幹はいかにも頼りなげで、強い風が容赦なく吹きつける。
先にはなにもない行き止まりだから通りがかる人はいないし、霊験あらたかな様子もないから、土地の者すらあまりやって来ない社だ。
まだ明けやらぬ刻限のそんな場所に、一つの人影があった。
影は海に向かって身体を正対させ。小指側を前にして右手を突き出している。
その手刀を、縦横に繰り出すしぐさを反復していた。
上背のある引き締まった肢体から、遠目には鍛錬された武士にも見えるが、着ているものはすっきりとした木綿もので、商人のそれである。
刀は差していない。
が、その動きは、刀を持たぬゆえ一瞬のうちに敵の懐へと飛び込み、相手の刀を奪い去る捌きのようにも見えた。
やがて一連のうつくしい動きが止み、霧の向こうにゆっくりと残心を描いて、男は姿勢をもどした。
男は名を、灘屋市右衛門といった。
二十歳を少々過ぎたばかりの、新堀河岸の下り酒問屋、灘屋の当主であった。
市右衛門は、大川端から望む、たえまない水の眺めが好きだった。
足下には、いままさに大河へと合流する新堀川があり、右手には、荒川、隅田川などといくつも名を変えて、ようやく長い旅を終えようとする大川がある。
いつもなら、その先の石川島と佃島によって大川が左右二つに振り分けられ、左岸をゆく派川の向こうに遥か江戸の海が広がっているはずだった。
狭い町屋に雑多な人が身を寄せ合って暮らす江戸の町とは思えない、ゆったりと時間が流れる風景があった。
市右衛門は、霧に閉ざされて見えない海に目をやった。
海にとどまってさえいれば霧は霧のままだが、あたら陸地をめざしたがために霧消していく。どこやら、とめどなく江戸になだれ込む人の群れに似ていた。
ふいに横なぐりの風が吹き、霧のしずくが降りかかって市右衛門の頬を冷たく湿らせた。
そろそろと踵を返そうとしたら、数間下ったところで、堂々たる体躯の壮年の男がおだやかに頭を下げた。
「やはり、こちらでしたか」
丹蔵だった。
男と若者の間には、父と子ほどの歳の差があった。
丹蔵は灘屋の筆頭番頭の地位にある。
主も番頭も、小僧を連れずに出歩くことは世間で稀だが、お店の者を使いによこすことなく、年上の男はみずから主を迎えに来た。
些事にとらわれない、いかにも丹蔵らしい行いだった。
「いささか気になるところがございまして、お迎えにあがりました」
市右衛門は浅く、しかし丁寧に頭を下げて返した。
商家はどこも、毎月晦日に竈掃除をする。数日前の朝、そこにふだんは見かけない妙な男が交っていたことに丹蔵は気づいていた。
「月が替わってからも、なにやら灘屋の様子を窺う者がおりますようで」
市右衛門が苦笑して、それならばあそこにもと、さりげなく松林の陰を指し示した。が、それ以上は語らず、丹蔵に向き直った。
「なにやら動きがあったようですね」
市右衛門はいつも丹蔵に、己が父に語りかけるように話す。
当主が番頭に話すそれではない。
「歩きながらお話しいたします」
後ろにまわった丹蔵は振り向きざま、手のひらに隠し持っていた小石を松林の足もとめがけて投げつけた。
一瞬の早業だった。
まだ痩せたままの松と松の間には、あまり手入れがなされないまま、人が隠れ潜めるほどの茂みがいくつか見受けられた。
すでに来た道をもどりはじめていた市右衛門は背中のほうで、ぎゃっ、という叫びを聴いた。ざわめきは、しかしすぐに消えた。
「川まで落ちていなければよろしいのですが」
主が案じた。
「そのようなことでは連中も、大事な用が務まりますまい。いまは真冬でもなければ、ここは打ち捨てておきましょう」
丹蔵は何事もなかったように市右衛門の横に並びかけた。
地川であった平川の流れを引いて開削した日本橋川は、大川に向かって東へと向かい、江戸一番の賑わいを見せる魚河岸を通りすぎたあたりで、新堀川へと名を変える。
ここ霊岸島の新堀川一帯は江戸湾からの回漕の便がよく、近年は北岸と南岸の両河岸に材木問屋や廻船問屋、酒問屋などの大店が軒を連ねていた。
まもなくはじまる船頭や仲士、荷揚げ人足や車力たちの人込みを抜けて、河岸道をまっすぐ逆にたどれば、灘屋にもどりつく。
「じつは伊丹屋宗助さまより、お使いがまいりました」
丹蔵が身を寄せた。
「内々の相談事にて、明夜暮れ六つ(午後六時ごろ)過ぎに、円覚寺そばの『月乃家』までお運び願いたい、との口上です。ついでながら、私にも同道するようにと……」
丹蔵の面上には、幾多の荒波をかぶってきた男のしわが無数に刻まれている。
およそ商人らしくない頑丈な骨格と、丸太のような太い腕、頭部にはすでに白いものが混じるが、ここというときの有無をいわさぬ形相に、相手はしぜんと威圧されてしまう。
ところが女子どもにとっては、おなじ顔が温かい血の流れる頼りがいのあるものに映るらしい。笑ったときにできる深いしわがつくリ出す和尚のような円満な表情に接して、灘屋の女衆ならずとも、世辞でない真実の笑みを返してしまうのだ。
いつだったか灘屋を訪れる通いの髪結いが、江戸ではあまり見かけない白髪混じりの短い頭髪と、やはり顎のまわりに白いものが目立つ丹蔵の顔を指して、どっちが上でどっちが下だかわからない、とうまいことを言ったことがある。
丹蔵はそのとき腹を抱えて笑っていたが、味方にすれば心強いが敵にまわせば空恐ろしい男を、そのまま体現していた。
その丹蔵を父とも恃む市右衛門がいて、寡黙ながらも生気にあふれた市右衛門の成長を頼もしく見つづけてきた丹蔵がいる。
互いに不二、不可欠の存在であり、今般のように伊丹屋宗助らが相談事を持ちかけてくるのも、抜きん出た二人の器量と強固な主従の結びつきを買ってのことだ。
市右衛門はただちに首肯した。
「では、もどりましてすぐに、使いを出しておきましょう」
掘割の川の上は、風の道になっている。
堀沿いにまっすぐ並んだ葉柳が、濃い夏の緑を朝日に向けて、さわさわと気持ちよさそうに吹かれていた。
柳の木には、強風にもめげぬ柳腰の強さがある。
市右衛門はふと、若いころに酒造りで鍛えあげた伊丹屋宗助の、いまも職人然とした面影をを思い浮かべた。
行く手に、いくつもの白壁蔵が河岸道をふさぐように立ち並ぶ、いつもの眺めが見えてきた。
江戸は眺めがいいと、上方や東海から下ってくる商人たちが追従交じりに誉め讃える。
お城を取り巻く一帯は、西に向かって起伏のある丘陵となっており、高台を中心に、富士見坂や汐見坂と呼ばれる眺めのよい地点がいくつもあった。
確かに、晴れた西空に遠く臨む富士山の毅然とした佇まいや北に位置する筑波山のゆるやかな稜線は、旅人でなくてもうつくしい。
かたや霊岸島の新堀川筋は江戸にしては色のない土地柄であるが、そこかしこに材木の木の香と酒の香とが漂い、白と黒の蔵が立ち並ぶ情景はどこにも見られないものだ。
蔵は毎年のように増えて、新堀川筋はすっかり運河の町となった。
半刻(約一時間)もせぬうちに、品川沖に停泊する五百石船や千石船から、はしけと呼ばれる伝馬船に移し替えられた大量の荷が、船頭たちの叫声とともに威勢よく掘割を上がってくることだろう。
江戸の一日がはじまるのだ。
三つの捨て鐘のあとで、石町の明け六つ(午前六時ごろ)の鐘が鳴った。
市右衛門と丹蔵が、年初に看板を掲げ直したばかりの地廻り酒問屋、常陸屋の前に差しかかったとき、大戸が開けられようとしてカタカタ鳴った。
商家はまず表戸を開け、丁稚小僧が埃っぽい店の前の通りを掃き清めることから一日がはじまる。
やり過ごしたときだった。
「おや、灘屋さん」
背後から、しゃがれた声がかかった。
丹蔵もがっしりとした大きな体躯の男だが、頭半分抜き出た長身の市右衛門と並んで歩くと、すれ違う者はみな見惚れるように振り向いた。
声の主は、常陸屋ではなかった。
小柄なわりにでっぷりとして、高価な越後縮の風合いが悲しいほど似合わないその男は、酒問屋仲間で最近とみにめだった動きをしている平岩屋徳右衛門だった。
振り返った肩越しに、一瞬だったが、常陸屋の女将とおぼしき若い女が、半開きの表戸の陰へ身を隠したのが見えた。
こんな時刻に、主みずから表戸を開けるとは……。
主従にいぶかしい思いが残った。
「灘屋さんはじめ、下り酒問屋のみなさんは……」
並びかけた平岩屋は、かまうことなく立ちどまった二人の前へとまわった。
「どこもご繁盛で、結構ですな」
互いが凌ぎを削る問屋仲間であっても、含むところは口に出さないのが商人のわきまえである。
しかも、さして近しくもない相手に、男は平然と不躾な言葉を投げつけてきた。
「近頃は上方からの下り酒に押されて、わたしらが扱う元々の地廻り酒はお江戸でさっぱりだ。こう言っちゃなんだが、酒を売ることにおいてはご同業。もそっと、お手柔らかに願いたいものですな。はっはっは」
相手が若い当主とはいえ、わざわざ足を止めさせて言うことではない。まして平岩屋は、早くから江戸に進出した元々の酒問屋などではなかった。
丹蔵のこめかみがぴくりと動いたのも知らず、平岩屋は小僧の背を小突いて、
「では、ごめん」
さっさと立ち去った。後ろ姿を、二台の荷車が勢いよく消し去った。
平岩屋の出自はよくわからない。
問屋仲間では新参者である。
にもかかわらず新堀河岸で、平岩屋徳右衛門の「徳」は損得の「得」とまで陰口を叩かれている。
行き会って気持ちのいい男ではなかった。