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わいがや倶楽部

庄村デスクの
なんでもかんでもインタビュー

ここ川中島が発祥の桃のおいしさを、もっと広く知ってほしいから。

Vol.1 SHIMADA Yoshihiko

島田桃園/ギャラリーと喫茶 ハナモモ オーナー

島田 嘉彦 氏


かつて信濃の国では、上杉謙信と武田信玄の両雄が争った、川中島の戦いがありました。
そこは四方を山々にかこまれた善光寺平にあり、北を流れる犀川と南を流れる千曲川の、ふたつの川が合流する手前の三角地帯に地名は由来します。
その川中島を発祥とする特産の「桃」に未来を託す、島田嘉彦さんを訪ねました。

-川中島の自然のなかで、きっと自由奔放に育たれたのでしょうね。

そうですね。物心がつきはじめたのが1980年代半ばごろで、よく遊ぶ元気な子どもでした。祖母が専業でりんご農家をやっており、祖父はその農業を手伝いながら、自宅敷地内の工場で旋盤工をやっていました。ですので、子どものころは、自宅で仕事をしている祖父母に面倒をみてもらうことが多かったですね。

当時の川中島はまだりんご農家が多かったですが、ちょうど「川中島白桃」が人気になってきて、わが家もそうですが、いくつかの農家がちょうど桃農家へと変わっていく時期でした。
もちろん、それ以外にもいろいろな野菜や果物を育てていましたから、いつも獲れたての新鮮なものを食べられることと、大きな自然に囲まれて育ったことは、私の宝物だと思っています。

-そのころから、絵を描くことがお好きだったとか。

ええ、小さいときから絵を描くことや粘土で遊ぶといったことが大好きでした。
小学校低学年のときです。図工で景色を描く水彩画の授業があって、空を青一色で描くと、担任の先生にとても叱られたことがあります。先生が言うには、「空はほんとうにただの青なのか?緑や赤や黄色や、もっといろいろな色が見えないか?よく観察して、感じた色で自由に描くのだぞ」と。
この体験はとても新鮮で、強烈でした。まだ7才でしたが、創造することはとても自由で、心が解放され、どんどん楽しくなっていったことを覚えています。

あと、中学生の頃に、美術教師の市川宗先生との出会いがありました。先生がいる美術準備室に出向くたびに心が奪われ、顧問をしておられた美術部に入りました。先生はとにかく発想が豊かな方で、しかも柔軟で、かなり影響を受けました。こうした小学校の先生や中学の市川先生との出会いを通じた体験がなければ、いま、アートやものづくりの現場に携わっていないと思います。 尊敬できる人と出会え、しかもそうした方々が身近にいてくださるのは、かけがえのない素敵なことですね。

-故郷へもどろうと思ったきっかけは、何でしたか。

大学は芸大に行こうと決めていましたが、専門的な技術が必要だったので放課後に画学の学校に通いました。そこで勉強したのち関西方面の芸大に進学し、主に建築デザインや住環境デザインを4年間学びました。
ええ、いずれは長野に帰るつもりでした。ただ、まだ自分には大切なことが足りていない、そう感じたものですから、卒業後に同じ大学の研究生になりました。

研究生時代は全国を巡って、美術館や工芸、民芸などの博物館、作家さんや職人さんなど、ものづくりに携わる人びとや現場を実際に訪れて、お話をお聞きしたり作品などを鑑賞して自分の感性を磨いた時期でした。
いちばん大切なものはそれが生まれる現地にしかないし、自分の足で行って全身で感じることが大切なのだと知りました。
そうそう、気がついたら、年間で数百カ所も巡っていて、下宿先にはほとんど帰っていませんでしたね。

研究生卒業後は、教授の薦めもあり大学で助手として働くこととなりました。
学生の授業や作品制作などの支援をしながら、建築デザインや住環境デザインの研究を続けてきました。
そんな活動がきっかけで関西方面の地域活性プロジェクトに携わることも増え、実際に地域調査や町起こし活動をしているなかで、あるとき、ふと思ったのです。

「ところで、僕のふるさとはいま、どうなっているのだろう?」と。

5月。かつて戦場だった川中島に咲く桃の花。

-川中島にもどって、まず何を始めましたか。

じつは、遠く離れた川中島の現状を両親や知人から聞いていて、悶々としていました。
助手として働きながら、休みの日には故郷に帰ったときに自分ができることを考えて、すでに「ギャラリーと喫茶 ハナモモ」を開店させるための勉強や準備を進めていました。助手の仕事の契約を更新するかしないかの時期で、退職を決めたころには、自分がやるべきことやそのコンセプト、店舗設計のデザインもほぼ完成していました。あとは故郷に帰って考えていることを実行するだけになっていたわけです。

もどってからは、店舗の建築を進めながら、祖父母の跡を継いだ両親が営む桃の農業の手伝いも始めました。

店の建築は、職人さんと一緒に自ら集めた古材で部材を制作したり組み立てたり、現場で細かくアイデアを出し合って進めました。積極的に加わったのは、研究生や助手時代の経験もあり、自分が加わるほうがもっと別の新たなアイデアが生まれてくるだろうと思ったからです。

-とくに力を注いだのは、どういうところでしょう。

ハナモモは新築ですが、建材や建具、家具、照明などの大半は戦前の古いものを使用しています。人びとに長く愛されてきたものには温かみがあります。建築設計では、日本の伝統的な手法を用いたり地元の材を中心に使用しました。
なぜなら、地元で産出された木や石などを、その土地で使うことに意味があると思ったからです。
それに日本の古い材や家具を用いることで、お客様に少しでも心を落ち着かせていただけたらなと考えました。

古い松本民芸家具のテーブル席もありますが、おすすめの席は長野市松代町産の柴石を土間に使用し、機械を使わずに手で磨いたケヤキ古材の長いテーブルの縁側席です。
縁側の廊下には座布団を敷きまして、そこに腰掛けて窓の外の桃畑やお庭の緑などの四季を感じながらお食事をしていただけたらと設計しました。
直射日光が当たらないように設計しましたが、足下には日が入る気持ちの良い席です。
冬は薪ストーブを焚いてお客様をお待ちしています。

そうです、春には “桃の花”が咲きます。
桜の開花の後です。窓から見える花の色は桜よりも濃いピンク色で、満開の時期は短いのですが、とてもきれいで、それを愉しみに見えるお客様がたくさんおられます。

-桃農家としてのお仕事も、たいへんなのではありませんか。

桃は、花が咲いたら、受粉の作業をおこないます。
昔はミツバチを飼っていて蜂が受粉してくれたのですが、より確実に実をつけさせるためには人の手で花を集めて花粉の抽出と乾燥をして、ひとつひとつ手作業でしていきます。
やがて実がついたら摘果をして、日焼けや病気防止のためにすべてに袋掛けをします。収穫までには、他にもいろいろと作業があります。
川中島周辺の桃は早い品種で7月から収穫に入りますが、川中島白桃は夏の終わりのお盆あたりが収穫時期になります。
桃は傷みやすく、速く、しかも優しく収穫しなければならないため、この時期は農作業のピークですね。

-最良の地形や気候や土壌があって、はじめて川中島白桃が生まれるのですね。

川中島発祥の桃の代表格は、「川中島白桃」や「川中島白鳳」などの白桃です。
ネクタリンとの交配種である「黄金桃」に代表される、黄桃もあります。近ごろは全国的にも名が知られるようになって人気も高まり、果実が大きく、味もおいしいため年々消費量も増えています。

ところで、川中島の桃は、一本の木の奇跡からはじまるのはご存じですか。
それは人工的に作られた品種などではなく、昭和30年代に自然に生まれ発見された、偶発実生の品種なんです。
不思議なことに、川中島白桃が生まれた原木のある近辺の畑の桃は、同じ品種でも他の地域で採れたものとは比べものにならないほどおいしい。
実の大きさも素晴らしく、川中島地区で収穫された川中島白桃は唯一無二と言われています。
偶然ではなく必然的ですが、私たちは奇跡とさえ考えています。

畑からすぐ近くの山々の、夜から朝にかけて降りてくる冷たい空気と日中に上がる温度差で味わいのある甘みを含ませ、大きな玉に育つ、と言われています。この地域にふさわしい、つまり、この土地に生まれるべくして生まれた品種なのだと私は考えています。

-切ったときに広がる香りや、口に含んだときの食感が素敵ですね。

切る前から、甘く透明感のあるみずみずしい香りが部屋中に広がり、食欲をそそられます。
そして実際に切ると、絹のような光沢のある白さに、種まわりにだけうっすらとピンクのグラデーションがかかってなんとも美しく、桃の果汁が果肉からあふれんばかりにまとった状態となります。
熟した果肉を口に含むと繊維をほとんど感じることなく、口の中でとろけるように、奥深い甘みを広げながら芳香な香りの余韻を残しながら消えていきます。
じつは、川中島白桃は熟す前の果肉が堅い状態の時から甘く味があって、熟したときとはまた違ったおいしさがあると桃好きの方々から絶賛されています。市場に出回る頃には追熟されてある程度柔らかくなってしまっているので、朝獲れを買って食べるしか方法はないのですが、個人的にも堅い桃が好きです。熟成が若い堅い桃=おいしくないというのは嘘で、一般的にあまり知られていませんが、それだけおいしい桃だという証拠でもあります。

-今後のことについて、何か気になっていることはありますか。

じつは、大きな課題が横たわっています。高齢化で生産者がどんどん減ってきているのです。
需要と供給のバランスが反比例になっており、年々その差が広がってきています。
川中島にもどって桃の現状を調べたことがあるのですが、桃農家を継ぐ若い担い手がとても少ない。関西から帰郷したころの桃農家のみなさんの平均年齢は70才以上で、65才でも若手と呼ばれていたんです。あれから数年経ちましたから、平均年齢はもっと上がっているでしょうね。

たしかに、一軒また一軒と、毎月のように廃業する桃農家があり、木が切られ、畑が減っています。
春、小高い丘から一面に見えた桃畑の景色が減っていくのを目にすると、とても悲しく、寂しくなります。ただ自分としては、活動をつづけることで、わずかでも地域活性のお手伝いができたらなと願っています。

-「ギャラリーと喫茶 ハナモモ」 に島田さんが込めた思いは何ですか。

川中島にもどる前から、桃農家を続けるだけでなく、いままで誰もやってこなかった自分なりの視点をもって、たくさんの人にもっとさまざまなアプローチをできないかと考えていました。
もともと長野市にはギャラリーや美術館などが少なく、作家さんの発表の場もそうですが、アートなどに触れて感動する機会と場所が少ない。
だったら、自分がこれまで建築から住環境、アートや工芸、民芸など、幅広く学んできたことを生かせるのでは思ったのです。

もうひとつ、川中島産の桃を中心に味わえるお店がなかったこともあります。
桃をつくって出荷するだけでは、消費者であるお客様の声がなかなか聞こえてこない。もっと近くで、心のふれあいを持ちたいと思っていましたし、自分自身が学んだ大切なことのひとつに「本物を真から感じるには現地に行って感じるしかない」とする考えがあります。
できればお客様にも、新鮮な桃が生まれるこの場所に足を運んでいただき、桃畑の四季の景色や空気を感じてもらいたい。
さらには、「ハナモモ」で川中島の桃のおいしさやアートを感じてもらい、新しいことが生まれるきっかけの場になれたらと考えています。

ハナモモ

写真左:日本の伝統美ある格子戸の玄関、左中:義父さんが制作してくれた鉄の看板、中央:「ハナモモ」のロゴマークの刺繍が施された暖簾は奥様の手作り、右中:入り口の案内はご主人が木彫されたもの、右:祖父の工場に残っていた鉄材や古材を組み合わせて新たに作られた看板

入口の沓脱石で靴を脱いで上がった空間には日本全国から集めたたくさんの骨董品や昭和レトロの古道具があり見ているだけでも楽しい。
一部は販売もしている。その先に足を進めた部屋は長野県の作家作品を中心に展示販売するギャラリーになっている。
●写真中央と左:入口から幕末から昭和初期の骨董品や瓶などがズラリ。タイムスリップしたような感覚です。
●写真右:長野県の作家さんの作品を中心に展示販売されている。
●中央のテーブルには現在陶芸家で活躍中の島田さんの恩師の市川 宗さんの作品も。

作家さんたちの作品や島田さんの楽しいコレクションに気を取られつつ、日の当たる縁側席の喫茶スペースへ移動。
春には桃の花など、夏には桃の濃い緑の葉っぱからのぞくピンクの桃の果実を窓から鑑賞しながら食事ができます。

●左上:信州ミールスカレー、長野の食材を郷土料理方法でカレーに合うように調理し南インドのミールスの食文化に習い、融合。 自家農園の桃のチャツネが隠し味、独自のスパイスの調合でとてもスパイシーだけど親しみやすく、また食べたに行きたくなると評判のハナモモのオリジナルカレー。
さまざまな副菜をそれぞれに味わうことや、すべてを混ぜて食べることも考えて作られている。
●右上:川中島白桃の原木燻製ベーコンステーキ、塩漬けから手間暇かけた珍しい桃の木の燻製の香りがそそる。
●左下:川中島白桃のタルト、自家農園の桃をたくさん使ったタルト。
●左下中央:川中島白桃のかき氷、夏限定!とれたての桃と濃厚な手作り桃シロップのかき氷。
●右下:川中島白桃の原木燻製ナッツ、燻製と様々なナッツの相性がおもしろい。
(※季節によってお料理の内容を変更する場合があります。)

-最後に、これからのことを話してください。

満足せずに、そこでとどまらず、つねに進化しつづけたいですね。
川中島の桃に対する気持ちも尽きることはなく、この素晴らしくおいしい桃と人との関わり方を考えて提案していきたいと考えています。
たとえば、あたらしい料理のメニューをつくることや、いまある料理をさらにおいしくする工夫を考えるのが楽しみのひとつです。オープン当初からあるカレーも、お客様の要望や自分の想いで改良を重ねて進化をさせてきました。
新しくミールスという食のスタイルにしたことで、より多くの地産の食材をさまざまな郷土料理に落とし込んで考えることができるので、「見た目も華やかになったし、いろいろと味わえて楽しく、長野の郷土食との味の組み合わせにもびっくりした」と言ってもらえるようになりました。

栽培している桃と同じで、おいしいだけでなく、健康にも良い食べものをめざします。
基本、食材から手づくりで、調味料にもこだわって、なにより自分でも食べ続けたいものを基本にしようと決めています。

川中島発祥の桃はいまや全国で栽培され、川中島といえば桃、と答えていただけるほど人気となりました。
しかし、先にも申しましたが、ここ何年かで生産者が大幅に減って、需要と供給が反比例しています。
自分で桃の農業に携わりながら、一方で「ハナモモ」という発信の場を通して、もっともっと、いままでとは違った角度から世の中に切りこんでいけたらと願っています。

インタビュアー/庄村デスク