
すこし心を開くだけで、世界は変わるから。
Vol.2 IWATA Shingo
岩田 真吾さん
三星テキスタイルグループ代表

ちょっと遠いのですけれど、がんばって車で向かうことにしました。
名神高速岐阜羽島で降りて、北へ10分ほど、えんじ色をした大きな煙突が目印でした。
ここに工場を構える三星テキスタイルグループの5代目社長の岩田真吾さんにインタビューです。
三星テキスタイルとは、織物や編み物などの衣料向け繊維素材の企画と製造を行う三星毛糸株式会社と、染色・整理加工を行う三星染整株式会社からなるグループ企業です。
三星テキスタイルは、ことし130年を迎えた1887年の創業で老舗の繊維メーカーです。
綿の艶つけ業に始まり、現在はウールやカシミア、シルクなどの天然素材を中心としたさまざまな素材を企画・製造し、国内外のブランドに提供しています。
近年ではPremiere Vision Parisに出展したり、2015年にはエルメネジルド・ゼニア社の「メイド・イン・ジャパン・プロジェクト」に選出など海外展開も活発になり、まさに毛織産業の聖地である岐阜・尾州地区から世界に誇る生地を生み出しつづけています。
現在36才である岩田さんは、そんな歴史ある会社の社長に28歳の若さで就任されています。
伝統を背負いながら、どんな挑戦をつづけておられるのでしょうか。



— 故郷にもどるきっかけは?
じつは、大学を卒業した後は、商社や外資系コンサルティング会社などの異業種を経験していました。商社では人と人との信頼が大事で、コンサルティング会社では仕事の仕方や働き方を学ぶことができ、忙しくも充実した日々を過ごしていました。
同時に、「30才までに経営者になりたい」という漠然とした夢を持っていましたので、起業しようか、家業を継ごうか、色々な先輩や友人に相談したりしていました。そんな中、当時社長をしていた父親とも話をする中で「起業するのは他の誰かにもできるが、この会社
を継ぐのは自分しかできないんじゃないか」と考えるようになりました。2009年でしたね、故郷にもどったのは。


— 社長になるときのこと教えてください。
迷いはありましたよ。なにしろ繊維業界は荒波のただ中にありましたからね。将来を考えれば「なにも火中の栗を拾わなくても…」というまわりの声がありました。
ただ、東京でバリバリ働くのもいいけど、今ここには自分にしかできないことがあると思ったんです。そうして、他の誰でもなく自分で決めたことだからこそやり切ろうと、強い思いで決意したんです。
それと、父が「若くして社長になることにもメリットとデメリットはあるけれど、経験を積んでから社長になることにも同じようにメリットとデメリットがある。直感でしかないが、それらは足せば同じぐらいだ。であれば何回でもチャレンジできる早い方でもいいのではないか」と言っていたのが印象に残っています。この話を父にしても「そんなこと言ったっけ?」と、とぼけていましたが。
— お父さまと仲が良さそうですね。
はい。喧嘩もしますが、今はよく話しもします。仲はいいですよ。
— 社長になって、どうでしたか?
会社のさらなる成長を求めて、まずは数値目標を立て、いくつかの手を打ちました。
そして1年後、会社が驚くほど変わってないことに呆然とさせられました。当然ですよね。
それまでの私の生き方といえば、若いせいか、とにかく早く、早くと生き急いでいたんです。
まるで短距離走をしているようでしたよ。
たった1年で変えるなんて不可能に近いことであるのに、当時はできると思っている自分がいました。
でも、そんな私の肩の荷をおろしてくれたのが、事業再生を手がける先輩経営者の何気ないひと言でした。
「その若さでオーナー社長になったということは1、2年でどうのこうのという話じゃないんじゃないの?20年とか30年とか、そういう単位で物事を見てみたら?」と言われ、ハッとしました。
上場しているわけでもないし、外の目を気にする必要はない。これまでのような生き急いだやり方から変えてみようと。
— どう舵を切り直しましたか?
そうですね、端的に言えば「伝統と革新」です。
伝統に新しいチャレンジをすることで、プラスアルファの価値を生み出そうということです。
モノづくりにおいて、ここには130年もの間に積み重ねたものがあります。三星の生地を使っていただけるのも、その信頼のおかげだと考えています。しかし変化の激しい現代、そこにとどまっていれば、取り残されてしまいます。そこで時代の行く末を見据えて、自ら価値を提案していく必要があると感じました。
自分と違う人と交わることで新しい価値は生まれます。自分の専門性にこだわると今までにあるものだけになってしまいますが、勇気を出して積極的にコミュニケーションをとるようにつとめました。具体的には、さまざまな企業や地域、人びととの連携を強めたいと思うようになりました。
— 岩田さんご自身の性格も影響していますか?
ええ、もともと人と話すことは好きですからね。小さい頃は声がガラガラな子で…どうも幼稚園でしゃべり過ぎていたそうなんです。
とにかく自分の内にこもりたくはありません。それと、通り一辺倒というのも嫌いです。


— 具体的にどんなことをされましたか?
新しい取り組みとして、「mikketa(ミッケタ)」というプロジェクトがあります。
三星毛糸(mikke)と建築設計事務所TAB(ta)が一緒になってやっていまして、余り糸や布の切れ端、糸巻の芯などを活かしたデザインプロジェクトです。こうした製造過程で見過ごされるものをmikke(発見)て、デザインを+α(工夫)する、という思いが込めら
れています。
もう少し言いますと、カラフルな余り糸をアクリル樹脂や和紙に混ぜ入れて新素材を開発し、それをもとにランプシェードやスツール、花瓶などの雑貨を制作販売しています。
おもしろいことをしている会社だと知ってもらえることが大切です。


— 地域との共生も目標にされているそうですね。
そうですね、地域ともっと一緒にやっていくという意識を強く持っています。
2016年12月に羽島市(不破一色連区)との間で防災協定を結びました。災害時に駐車場等を避難場所として提供するだけでなく、防災訓練等を共同で行います。
こちらから自治会に提案させていただきましたら、「何年も自治会をやってきたが、企業側から防災協定の提案をもらったのは初めて。これを機に新しい企業と地域の連携方法を進めていきたい」と自治会長さまから感謝の言葉をいただきました。
こうしたことをきっかけに、もっともっと羽島市のポテンシャルをあげていきたいですね。そうしたなかでの取り組みとしては、とても大きな一歩でした。
— 会社を見学させていただきましたが、社員の皆さまとも楽しそうにお話をされていましたね。
〝こんな事があった〟と、私のこぼれ話やよた話を載せた新聞を月に一度発行しています。ときには悩みなど、自分の弱い部分も書きますね。
他社との連携もそうですが、社員との関係もそうです。雇う雇われるだけではなく連携していく、一緒に働き、分け合う気持を大切にしています。
— 年末に行われる「持ちつ持たれつ餅つき大会」、いい名前ですね。
社員はじめ、社員家族、ご近所のみなさまにも参加していただき、たのしくやっています。



— いま、力を入れていることはありますか?
2015年に自社ファクトリーブランド「MITSUBOSHI1887」を立ち上げました。130年の歴史のなかで初めて生まれた自社ブランドです。これも新しい試みです。
スヌードやストールを展開しておりコンセプトは「Let the Material Do the Talking」。素材の良さを引き出し、素材に語らせる、という意味です。モノづくりのDNAをベースに新しい風を吹き込んだもので、より多くのお客様に「日本のモノづくりの価値」を楽しんでもらうことを目標にしています。
その他には、ベンチャー企業への出資などにも挑戦しています。


— 最後に、いまの若者に岩田さんからアドバイスできることがあったら教えてください。
変なプライドをもってチャレンジできないのはもったいないことです。すこし心を開くだけで、素敵なことや、価値が生まれることもあります。留学もその一つですよ。

