
Vol.27
古戦場で睨みをきかす、日本一大きな閻魔大王像。
春風に乗って砂塵が舞い上がる河原。
少しづつ新芽の息吹も聞こえ始める中、昨年の台風19号で被害を受けた千曲川では、着々と復旧工事が進んでいます。

長野インターを降りて、千曲川を渡り、車で約5分。
かの武田信玄公と上杉謙信公が戦った、川中島古戦場ゆかりの地、典厩寺(てんきゅうじ)にやってまいりました。
ここ典厩寺には、日本一大きな閻魔さんがおられると言うことで、地元の幼稚園保育園の園児や、小学生たちへ“戒め”を説く場所として、人気のあるお寺です。
そう言えば、子供の時に大人から教えてもらいましたよね?
「きみ、嘘をつくと、閻魔さんに舌を抜かれてしまうんだよ」って。

ここ典厩寺は、創建当時(1500年頃)、鶴巣寺(かくそうじ)と称していました。
永禄4年(1561年)の川中島合戦の際、武田信玄公の弟、武田信繁公はこのお寺を典厩本陣として出陣しましたが、この激戦で命を落としてしまいます。享年37歳でした。信繁はこのお寺に埋葬されたと伝えられています。
その後、初代真田藩主、真田信之公が、かつて武田軍の重臣であったことから、典厩寺と改め、真田藩主の武家寺として発展し、その歴史を今に伝えています。

千曲川土手沿いの典厩寺。遠くには北アルプスの山々が見える。

お寺入り口の瓦屋根には、しっかりと“武田菱”が。ここが武田家の武家寺と言う証です。

疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
武田軍の風林火山と、そして上杉軍の毘沙門天。両軍の軍旗が本堂の壁に飾られています。
何百年もの前、サムライたちはこの地で戦ったのだ!と思うと、なんだか武者震いもするほど。
桜の枝は地面に付くまでに垂れ、250余年もの時を超え、今年も春を告げます。
花に心を奪われ、嘘など何一つ無いままでしたが、我に返り、いざ閻魔堂へ。


日本一大きいことで有名な閻魔大王像。
万延元年(1860年)、松代藩八代目藩主の真田幸貫公の発願によって、川中島合戦の戦死者6,000余名の供養の為に、この閻魔堂を建立されたと伝えられています。そして朱塗りの閻魔大王を祀りました。
また、天井には三十三身観音菩薩、閻魔大王の背面には四天王が描かれています。
ちなみに、その右から2番目に描かれた北方多門天王は、別名“毘沙門天”。
そう、上杉謙信公が崇めらた武神様なのです。



世の中は、インターネットが急速に発達し、ネットに流れたデマやフェイクニュースなどの情報に踊らされてしまう今日この頃。
人と人との距離はデジタル化で便利なほど近くはなったものの、時として真実は虚偽に飲み込まれ、それは機械を介して、瞬く間に人々へ伝播していきます。さも本当の話の様に。
現代人は、真実を見抜く力も養わなければならないようです。
「いいか!覚悟をしろ。嘘をついたら、舌を引っこ抜くぞ!」
睨みをきかせた閻魔さん。
サムライの時代から、今もなお“幼い心”にそう語りかけているようです。
取材/文/写真 編集部スタッフ