わい
わいがや倶楽部

Vol.25

文明開化のしるし、京橋の瓦斯燈。

てくてくと京橋から銀座方面に歩いています。
夜になれば、それはそれはきらびやかなネオンの世界。
ところで、光っている電球も今やLEDライトなんていうものに変わり、世の中にはだいぶ普及しているようです。
わたしたちは速すぎる日常の変化に慣れてしまい、もしかすると文明の変わり目に居ることすらわからなくなっているのかもしれません。

そんなことをぼんやり考えながら。。。京橋の首都高の高架下まで来ると、なにやら古めかしいモニュメントがありました。

これは瓦斯燈(ガスとう)。
“あかり”でいうなればLEDの大先輩。
1987(昭和62)年に、明治初期1874(明治7)年の燈柱をつかって、当時のガス燈をそのままに再現したそうです。
で、肝心な“あかり”が日中でも煌々と点いていますが、その名の通り「ガス」を使用して点灯しているとのこと。
いまでも東京や日本各所にはガス燈が残っているそうです。調べてみても面白そうですね。
コンクリート造の親柱は、明治初期の実物そのもの。
日本で一般的にセメントが広がっていったのも明治ごろでしょうか。
床のレンガは発掘された当時のものを敷きつめたそうです。
明治大正の時代、銀座ではモダンなレンガ造りの建物がたくさん建ち並びました。
ガス燈やレンガは文明開化の象徴だったのです。

煉瓦とガス燈
(1987年記)
明治初期我が国文明開化のシンボルとして、銀座には煉瓦建築がなされ、街路照明は、ガス燈が用いられた。
床の煉瓦は、最近発掘されたものを、当時のまま「フランス積み」で再現。
ガス燈の燈柱は、明治7年の実物を仕様、燈具は忠実に復元。

親柱の頂部にガラスと青銅のモダンなデザイン。大正11年に造られ、昔はあかりが灯っていたそうです。

通りの向かいには、親柱と同じかたちを模した建物があります。
これ、じつは交番。
こんなお洒落な交番は全国的にも珍しいのではないでしょうか?

道草喰って、知識がまたひとつ。
足を止めてみれば、きっとそこに歴史があります。

取材/文/写真 編集部スタッフ