
投稿/塚田昌純さん
再び昆虫採集の世界に舞いもどった私は、まもなく、大きな衝撃を受けることになります。
中学生の頃、夥しい数のオオムラサキがいたその場所に、まったく姿が見当たらないのです。他にも心当たりの場所がたくさんあったので、一回りしてみました。と、まだ安定して生息している場所とすっかり姿を消してしまった場所とに、はっきりと分かれていることに気づかされました。いなくなった所にも、これまでと変わらずクヌギやコナラが樹液を出しているにも拘わらずです。
ただ、原因はすぐに想像できました。
成虫が卵を産む樹は「エノキ」だけです。ところが、そのエノキの周囲の木々が伐採されて明るくなりすぎ、肝心のエノキにクズやアレチウリが絡み付いてとても産卵できる状況ではなくなっていたのでした。
オオムラサキに限らず、その他の種でも周囲の環境悪化、もしくは開発によって激減、あるいは消滅した産地が数多く見つかりました。
そして私は、これを機として、考えを改めました。すなわち、今後はできるだけ多くの産地の生息データと標本を残していく活動に切り替えたのです。
とは言え多くのデータと標本を残すには、わずかな発生時期の間に、限りなく多くの産地を歩かねばなりません。しかしそれは仕事を持った身には不可能なことであり、残念ながら種類を限定するしか方法がありません。
限定するには、いくつかの条件があります。可能なかぎり多くのデータを残すには短い成虫期間だけでは不可能であること、そして秋冬でも卵を採集できる種類であることが前提となります。また、幼虫飼育期間が比較的短い種類で、標本箱のスペースを大きく取る大型種でないこと、そして何より、自分が好きな種であることが条件となります。
それらを考慮したうえで、「ゼフィルス」という、シジミチョウの一群に絞ることにしました。その代表格としては、オスの羽が緑色に輝くミドリシジミ類やオレンジのアカシジミ類などの魅力的な美麗種が揃っており、私の狙いに合致していました。
それからは、他の種類にはほとんど目もくれず、ただこの一群だけを集中して追い求めることになっていきました。






あまり詳しくない方からすると、非常に珍しい蝶に見えるかもしれません。
ですが、この種は昔から、近くの里山にひっそりと暮らしていたものなのです。決して希少種でもないのですが、その生態からほとんど人目にふれることがないだけで、いるところにはたくさん生息しています。
それからは毎年毎年、一定数の採卵をしていきました。が、じつはその作業が大変なのです。この一族の卵は、草にではなく、樹に産み付けられています。したがって卵を探す季節は、木の葉が紅葉して落ちたあと、晩秋から真冬となります。
当然ながら厳しい寒さのなか、冬は雪山での作業です。しかも広大な林のなかから直径1mmにも満たない卵を見つけるのですから大変です。また種類によっては、樹の樹冠部(地上5-10m)にしか産まないので、木登りは必須となります。
雪山と格闘している姿は容易に想像していただけると思いますが、ただこれにも、慣れてくるとちゃんとコツがあるんです。食樹、産卵場所の癖、産卵部位などは種類によって決まっており、夏に成虫が確認できていれば大体の場所を限定できます。
もちろん、長年の経験が必要となることではありますが。





このようにして入念に分布データ等を取っていると、これまた毎年のようにショックを受けることが起こります。
昨年あった林が完全に伐採されていたり、気が付いたら整地されて公園になっていたり。
これではひとたまりもなく、その時点で産地は消滅となります。
こうした例は枚挙に暇がなく、自然公園、キャンプ場整備、トレイル等多くの人を呼ぶために行っていることも多くあります。
そしてそこには、「貴重な生き物を大切に」とか「昆虫採集は禁止です」とか書かれていたりします。何かが、おかしい。
昆虫採集は禁止でも、種が滅ぶほどの開発は有りということなのでしょうか。
また、この趣味をやっていると気づきます。若い人がほとんどいません。昔、昆虫採集をしていた子どもはいつしかおじさんになって、すでに老人です。後継者がほとんど見当たりません。
子どもの頃、昆虫採集や魚を捕って遊んだ経験のある人は多いと思います。
しかし、単なる体験や親に連れて行ってもらったというのではなく、日常的に普通にやっていた方はどれだけおられるでしょうか。
現在45歳以上の年代には結構おられるでしょうが、それより若い世代となると徐々に減少していき、20代ともなればほとんど経験したこともないというのが現状でしょう。私が子ども時代を過ごした長野のような、まだ恵まれた環境でもそうなのですから。
いくつかの理由が考えられます。
ゲームが普及したとか、近くに昆虫のいるような環境がなくなったとか、さまざまな要因があるでしょうが、一方で、昆虫採集=悪、という曲がったイメージがついてしまったことも大きな要因ではないかと考えています。
学校でも昔は昆虫採集を”させて”いましたが、今では採集は”しないように観察しましょう”が主流であると聞きます。
しかし、体験観察だけで本当の興味を持つでしょうか。現状を考えると答えは出ていると思います。
そうすると誰も昆虫に関心など持ってくれなくなり、「自然を大事に」と言いながら、前述のような意図せず破壊しているという事態が生じているのではないかと思えてしまいます。
ほかにも
●チョウチョを捕ったら可哀相、という反面、その幼虫である毛虫・イモムシを皆殺しにしている。
●この樹はトゲがあって邪魔だからと、全部伐ってしまう。
●公園の樹に虫がいると気持ち悪いからと消毒駆除する。
●害虫の被害が拡大しているので、農薬を空中から散布する。
そんなことが行われています。
たとえばサンショウやカラタチなどのトゲのある樹は、以前ならどこにでもありましたよね。ところが今はほとんど伐られて、レッドロビンとかに置き換わってしまう。そうすると、これを食草としていたアゲハチョウやクロアゲハが生息できなくなってしまう。最近は普通のアゲハチョウすら見なくなったと思いませんか?

このところは毎年のように、日本人がノーベル賞を受賞しています。それも特に理科系の方が大勢を占めていますよね。
そもそも理科系に進むには、子どもの頃から科学に親しんで来ている人が多いのではないかとも思います。私自身は文系に進んでしまいましたが、子どもの頃は理科が大好きでした。子どもの理科離れが叫ばれていることと、自然体験の減少には関連があると思えてなりません。
思い返してみても、そもそも子どもの頃に「勉強しろ!」と言われて、その教科が好きになるものではないでしょう。理科好きになるには、それなりの要因があるはずだと考えています。
昆虫をはじめ、各種の採集・飼育行為はその大きなきっかけになるのではないかと思うのです。採集・飼育というものは、子どもにとって大変エキサイティングであり興味深いものだと思うのです。
自然のなかで目的の対象を探す一種の宝探しでもあり、標本を得るという集める行為も子どもの欲望を多いに満たし、実際の生き物を飼育してその美しさや強さに惹かれる事ことも然りではないかと。
しかし、それらの採集・飼育をするためには、何も知識がなければできないことも子どもは理解できているので、ごく自然に、何を食べているのか、いつ活動しているのか、幼虫期はどうなっているのかなどなど、さまざまな疑問が湧いてきて、その行為の周辺にある知識を楽しんで増やしていける、つまりは積極的に興味を持つことにつながる貴重な機会であると思えるのです。
そんな芽を摘んでしまうようなことを大人がしてはならない、そう思っているのは私だけでしょうか。
そんなことを考えながら、53歳になった今でも、データ収集、短報作成、標本作成を楽しんでいます。
少しでも自然に関心を持っていただける方が増えることを、切に願って。







