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わたしのライフワーク

投稿/塚田昌純さん


生き物が好きでした。物心ついた頃から、昆虫採集や近所の川での魚やザリガニ捕りなど、さまざまな生き物を捕ったり飼ったりして楽しんでいました。
ときにはヒルやボウフラ、クモからカネチョロ(ニホンカナヘビ)までもが採集の対象となり、それを家で飼おうとして母親にひどく叱られたことも度々でした。
小学校に入る頃には御多分にもれずカブトムシとクワガタにはまり、時期ともなれば毎日のように自分の採集ポイントに採りに行き、それ以外の季節には近くのいろんな小川で魚などを捕って遊んでいました。それ以外に何も必要ではなかった し、それだけで十分に楽しかったからです。

いつも同じことをやっていてよく飽きないもんだ、とも言われました。ただ私には、昆虫を採るために毎回餌となる植物を調べたり、いそうな場所の見当を付けたり、上手に飼うためのいろんな実験をしてみたりと、自分のなかでは同じことをしているという感覚はありませんでした。毎日のように新しい仮説・知識・経験があって、新鮮だったのだと思います。
そうしているうちに小学校も5年になり、ある日、知り合いの方が綺麗に作られた蝶の標本を見せてもらう機会がありました。その標本のあまりの美しさに、声も出ない衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。それ以来、他の生物には一切目がいかなくなり、あれほど夢中になったカブトムシ・クワガタも止めて、蝶を専門に採集するようになっていきました。

しかし、それからしばらくして、蝶という虫はそう簡単に採れるものではないことを思い知らされることになります。
その年の夏休みでした。家から自転車で行ける範囲で、考えられるところを片っ端から訪ねてみましたが、採れるのはモンシロチョウ、モンキチョウ、アゲハチョウ、ヤマトシジミほか、ごくごく限られた普通の種類ばかりでした。

どこに行けば、あの綺麗なチョウチョが採れるのだろう。
そんなことを思いながら、中学生の半ばまではただやみくもに歩き回っていたように思います。もちろん偶然珍しい蝶が採れることもありましたが、それはあくまで偶然であり、狙って採ったものではありませんでした。

自分ではどうにもわからなくなって、親にねだり、小学館と研究社の蝶専門の図鑑を買ってもらったことがあります。私のマニアックな心に火が付いたのは、それからです。
専門家が読むような図鑑の解説を毎日の様に読みふけっていました。難しい用語もたくさんありましたが、その蝶を想像して読んでいるだけでも楽しかった。
しかし、そこで気づかされたのです。
この蝶を採るためには、図鑑を読んでいるだけでは無理だと。なぜなら、生息する環境には吸蜜源となる花や樹液の種類、またその蝶が産卵するための植物、さらには活動時間帯、発生時期、好む環境等、じつにさまざまなことを学んだり経験したりしなければならないとわかったからです。
それからは、それぞれの蝶ごとに異なる成虫・幼虫の食物となる植物等を学ぶことになりました。ところが植物というものも、非常に難しい。図鑑にあるのは一部を切り取っただけの写真であるため、現場で間違いなくこれがそうだと確定することは容易ではない。それにはもっともっと経験が必要でした。

驚くべきことがありました。中学2年の7月になって、これまでは憧れの的であり、どこにいるのか見当もつかなかったオオムラサキを、いとも簡単に採集できるようになったのです。植物の勉強の成果でした。そのわけは、クヌギ・コナラ等の樹液を主食として、発生時期は長野では6月中旬以降とわかったからです。
なんと、カブトムシやクワガタと同じ場所、ただ発生時期がそれらより早いだけだったのです。そうなれば簡単、自転車で行ける里山の林で、樹液を見ればいくらでも見つけることができます。なんと、ここにも、そしてここにも!!!

そうやって一種ずつ採れる種類が増えていくと、すっかりその世界にのめり込んでしまい、高校に進学してからはさらに加速していきました。
幸いにも私が通っていた屋代高校には生物班があり、鳥と蝶を中心に活動していました。
同時に他の部活やメタルバンドを組んで活動もしていましたが、私の中心はやはり、蝶です。
学校が終わり、行ける日は必ず自転車をこいで家とは逆方向の山に入り、蝶探しに明け暮れることとなります。経験豊かな先輩もおり、また大人の同好会にも所属して知識や経験が飛躍的に向上し、この頃には長野市周辺に生息している種については大方採集できるようになっていました。

いま振り返れば、凄い行動力だったなあと感心するばかりです。

しかし、そんなことに明け暮れていれば当然、学業のほうが疎かになってしまい、現役での大学受験に見事失敗。浪人の憂き目に会ってしまいました。
この浪人生活が、またいけなかった。予備校に入らず自宅浪人を選んだ結果、時間が有り余るのです。さすがに勉強はしていたものの、一日の一定時間はついつい蝶に費やしてしまうのです。
その頃は時間に余裕があったせいか、これまで以上に知識が増え、喜ぶべきか、所属していた大人の同好会のメンバーからも一目置かれる存在になっていました。ところが、何とか志望校にも合格して、東京で生活することになってから、事態はが一変します。
蝶のことはぱったりと封印、サークル活動やコンパなどの普通の学生生活を送ることになるのです。さらに卒業して就職してからは、新しい世界に入って環境も変わったことと、仕事のおもしろさも手伝って、時折思い出したかのように蝶に向き合う程度になっていました。あれほど、何もかもを忘れて没頭していたことなのに。

また火が付いたのは、子どもが生まれてからでした。
自分の子どもにも、自然の素晴らしさ、自然の楽しさを知ってほしい。そう思ってある時、子を昆虫採集に連れて行きました。その先はご想像いただけるでしょう。
本人以上に自分が夢中になり、また以前のようにのめり込んでいくことになるのです。

次回へ続きます。