わい
わいがや倶楽部
じわ〜っと沁みてくる君の背中に贈る言葉 1

vol.1 IKEDA Nobuyoshi

池田 信良 氏

盆栽愛好家

廻り道が一番の近道であるように。

いまや世界的に注目されている盆栽だが、そのレベルにおいてはまだまだ日本が群を抜いている。上野の美術館で毎年行われる国風盆栽展は盆栽の最高峰とされ、遠くアメリカ、イタリア、オーストラリアなどからツアーが組まれるほどだ。そして池田氏はここで、最高の賞とされる「国風賞」を、4度も受賞している。が、ここまでの道のりは、平坦ではなかった。

気がついたら、借金の海でもがく自分がいた。

本業はアパレル業であり、29歳で大手企業の課長になったが、昇進4日後に出席した部課長会議で、黒が白でまかり通る体質に直面した。 晴れがましいはずのその日に、氏はそのまま 辞表を出してしまう。なにより、嘘のない仕事をしたい一念だった。 若気の至りとは正にその瞬間であったと振り返る。

そんな自分を誘ってくれる社長がいて、人間的な魅力に惹かれるようにそこで働くことになった。が、まもなく、会社に大きな負債があることを知らされる。社長に頼まれるまま、保証人になった。そして1年も経たない日に、社長は忽然といなくなってしまった。当然ながら借金は、保証人である自分が背負う。マイナスからの起業だった。
最初の仕事が、借入れだった。しかし誰もお金など貸してはくれない。起業と同時に、倒産の危機にあった。唯一の救いが仕入れ先だった。死にもの狂いで頑張ったが、頑張れば頑張るほど借金は増え、ついには31歳で数億の負債を抱えることとなった。

一本の檜が救ってくれた人生。

それからは毎日、死ぬことしか考えなくなった。保険金でいくらかでも借金を返そうとの思いがあった。ほとほと疲れ果てたある日、ふと晴海の海で死のうと思った。頭の中は真っ白で怖さも無かった。最後に有名店が軒を 連ねる日本橋を歩いてみたかった。こんな有名店と取引ができたら、 その思いがあったから日本橋になったのだろう。その先に、晴海があった。
途中、高級果物で知られる千疋屋の店先に、小さな鉢に植えられた木があった。小さな鉢で弱々しい細い樹であった。それでも真っ直ぐに天に向かって生きている。「大袈裟かもしれないが後光が射して見えたのかもしれません。」死のうと思っていた自分だったが、その樹を見て変わった。自ら命を 絶つことをせず、死ぬまで生きよう、もう一度頑張ろうと、 今思えばその樹が教えてくれたのだ。 後日、その木が檜であることを知る。松や梅なら、おそらく街の風景に溶け込んで気にもならなかっただろう。盆栽との始りだった。

教えられた、待つことの大切さ。

盆栽から学んだことは多い、と氏は言う。なかでも、待つことの大切さを教えられた、と。もともと盆栽は、この枝を伸ばしたいと思っても時間がかかる。ときには、10年20年と。それでも、こちらさえ諦めずにいれば、樹はかならず応えてくれる。ワインが熟成の時を待つように。あるいは、子どもたちや社員がいつか大きく育ってくれるように。廻り道だと思った道。しかし振り返ればそれが近道であったように。人生においても近道は無く、諦めずに努力する事だけが実を結ぶのだと。
あの日出会った檜は今も元気に生きている。