わい
わいがや倶楽部

〜しゃれた知識って、最高のファッションでしょ。〜

言葉の謂われ


 
 
 

「GINKOU」
13.銀行

なんで、銀なの?金じゃいけないの?

呉服や太物 (木綿) は、盆暮れなどの節季にまとめて払う掛売りが当たり前だったから、客はその利子まで上乗せされて払わされていた。
銀建てである上方 (京・大坂) に本家をもつ三井呉服店はここに目をつけ、江戸に進出するにあたり 「現銀、掛け値なし」 をキャッチフレーズに掲げて、大当たりをとった。

「現銀」 とすることで京の香りを漂わせつつ、高価な呉服を割安にして庶民に近づけた。まともな着物は買えなくても、端切れなら買えるから、女たちはこぞって駆けつけた。

金貨は小判一枚が一両だが、銀貨は重さによって価値が変わる。そこで、両替商の出番となる。
上方の両替商から発展した現在の銀行は、それゆえ「金行」ではなく「銀行」と呼ばれようになった。


 
 
 

「DOKKOISHO」
12.どっこいしょ

声に出したからって、らくになれるわけじゃないのに。

富士山は古くから、庶民の熱い信仰の対象だった。
が、旅をすれば金もかかる。おまけに登山用具も天気予報もないから、命がけの参拝となる。

頂上の浅間神社まで登るあいだに、参拝者は口々に 「六根清浄」 と唱える。
これがいつのまにか 「どっこいしょ」 になったとされている。

現代人もついつい口に出してしまうが、山道でもないのに、無意識のうちに六根清浄を唱えていることになる。気づかぬうちに心身のけがれを洗い流しているのである。


 
 
 

「GEBAHYOU」
11.下馬評

まさか、馬が勤務評価するの?

はて、うちの殿さまは、どうなるんだろう?

江戸期には平均して、旗本が約5200人、御家人が1万7000人もいた。
これに対して、幕府が用意できる役職は1000ほどしかないから、同じ役を何人かでワークシェアしても、大量の組織内失業者が出る。
御役に就く、あるいは昇進することは、御家の最大関心事であった。

だから、あるとき老中奉書が届いて 「あした、登城するように」とお達しが来ると、もういけない。屋敷中が大騒ぎとなる。

当日の待合所は、江戸城の下馬所。ここで長時間待たされるから、屋台が出た時期もあるほどで、家臣や家僕たちは落ち着かず、人事予想や噂話に余念がない。
下馬所での人事評価、これが下馬評である。


 
 
 

「KICHINYADO」
10.木賃宿

木の賃だけ、払う。

江戸のころは、東海道を旅する者は宿場でしか泊れないことになっていた。
その宿場には、旅籠 (はたご) と木賃宿とがあった。
旅籠は一泊二食付きの今でいう旅館であり、庶民以外に武家も宿泊した。

一方の木賃宿は、旅人が食材を持ちこんで自炊をする。
ただし、薪代だけは払う。
つまり、木の賃だけは払う宿、なのである。
ここでは板張りの床で、みんなが雑魚寝した。


 
 
 

「NARIKIN」
9.成り金

馬鹿にされようが、なれるものならなってみたいでしょ?

ブームにのって 「歩」 が 「金」 に成り上がったが。

日露戦争に勝ったあと、戦勝気分による空前の投機ブームが起き、にわかに株で大もうけをした人間がたくさん現れた。
ただの「歩」がいきなり「金」に昇格する将棋をもじり、かれらは皮肉まじりに 「成り金」 と呼ばれた。
カフェでお金をばらまいて、女給さんたちに奪い合いをさせたり、これみよがしにお札を燃やして明かりの代わりにしたという。
なんとも嫌あーな男たちである。
一方、紀文こと、紀伊国屋文左衛門も吉原で小判をまいている。
が、こちらは命を張った航海のうえで材木商として伸しあがり、より大きな仕事を請け負うための計算づくのPR戦術だったから、御大尽ともてはやされた。


 
 
 

「GOMAKASU」
8.ごまかす

なんで、ゴマなの?

もともと日本は、食用にできる油がきわめて少ない。
せいぜいが菜種油くらいしかなかった。
ごま油のほうがうまいとわかっているのだが、なにしろこっちは最高級品だから、なかなか手が出ない。
で、天ぷら屋は白い油を半分、あとはカヤやツバキなんかの油に一割か二割だけ、ごま油を入れる。と、ごまの匂いがする。
ここから、「ごまかす」 という言葉が出た。


 
 
 

「OYATSU」
7.おやつ

3時でないと、食べちゃいけないの?

江戸時代の寺子屋は、始まりが、明け六つ半(午前7時ごろ)から五つの間 (午前7時30分ごろ)で、終まいが、昼八つ(午後2時ごろ)と八つ半(午後3時ごろ)の間。

ざっくり言って、昼の八つ時分に引ける。
そこから歩いて子どもが帰宅するのが、ほぼ「お八つ」。
つまり「三時のおやつ」となった。


 
 
 

「HIYAKASHI」
6.冷やかし

遊女からいちばん嫌われた男たち

紙が冷めるまで、ちょいと歩いて吉原へ。

紙は高価だったから、鼻紙や落とし紙などに再利用する「漉き返し」 の技術が発達した。
こうした工房が多くあったことで、浅草紙 (あさくさがみ) の名がついた。使い古した、いちばん安物の紙である。

紙屑を集め、細かく裁断し、煮てから漉きなおす。が、煮たものを冷ますのに時間がかかるから、金もないのに、ついつい近くの吉原の女郎を拝みにいく。

むなしく帰るのなら行かなきゃよさそうなものだが、そこは男。
ただ見るだけの客を、いつしか吉原では、「冷やかし」 と呼んで嫌った。


 
 
 

「DAIKONYAKUSYA」
5.大根役者

役者が、なんで大根なの?

まず大根で食あたりすることは、ない。

大根を食して腹を下す者はいない。つまり、あたらない。
転じて、芝居で受けない、当たらない役者となる。大根は白いから、 しろうとの役者 との説もある。

もう一つ。
家を新築するときに、棟上げとか建前と称する儀式をおこなうが、このときは天と地を鎮めるために、弓矢や餅などとともに大根を供える地域がある。

てんぷらを食するさい、胸焼けをしないよう大根おろしが添えられているが、ここでは胸ならぬ 「棟」が焼けないためのお供えとなっている。


 
 
 

「KISERU」
4.キセル

いえ、タバコを吸うのではありません。
むかし、中間の電車賃を浮かせることをそう言ってましたよね。
でも、なんでキセル?

入口と出口にだけ、金をかけるのが煙管 (きせる)。

遠くへ行くのに、次の駅までの切符を買って乗車し、最後の短い区間の切符や定期券で下車して中間の金を浮かせるのが、キセル乗車。いけないことだけど、昭和の学生はたいていお金がなかったから、心あたりのある人は、けっこういるはず。

で、本物の煙管はと見れば、やっぱり手もとの吸い口と、先っぽの火皿だけが金属。
つまり、煙りの入口と出口にだけ金をかけて、途中は竹などで安くあげている場合が多い。
なるほど、本家もキセルしていましたか。


 
 
 

「ONNA WA SANSYAKU SAGATTE」
3.女は三尺さがって

ええーっ、なんで女のほうが下がんなきゃいけないの?

ふいに敵に襲われたとき、夫が反撃するための間合いが、三尺。

武士というものは、めったに女性とは外出しないもの。
先祖の墓参りとかで仕方なくいっしょに出かけるときは、妻は風呂敷包みを抱え、夫の三尺後ろを歩く。
仲よく寄り添って歩いていて、万一、夫が襲われたら、互いにぶつかりあって身動きが取れないし、なにより夫が刀を抜けない。 三尺 (90.9cm) は夫が生き残るための距離。
そして妻は、とっさに手のなかの風呂敷包みを相手に投げつけ、すこしでも夫が反撃できる時間を稼ぐのである。

だから、持ち歩くものがないときでも、わざわざなにかしらをくるんで出かけた。
武士の家は夫婦で守るもの、との考えからきたもので、女性蔑視からきた習わしではなかった。


 
 
 

「MICHIKUSA」
2.道草

ってどんな草?草で遊ぶこと?

道草は、馬にとってのランチタイム。
あるいは、ちょっとしたサボタージュ。

もともとは、道端の草のことを指す。
転じて、「寄り道」となったが、なにも人間が道の草を食べるわけではない。
馬が道の草を喰って、ちっとも前に進んでくれないこと。
日は高いし、急ぐほどの用でもないから、馬子もまた、どっこいしょ、と煙草を一服。

食べるふりしてさぼっているときもあるが、現代なら堂々と権利を主張できる
きちんとした馬の食事時間、休憩時間なのである。


 
 
 

「ARINSU」
1.ありんす言葉

って、なに弁?

わちきは、ありんす、ありんせん、おざんす、おざんした

吉原の遊女たちは、家族が食いつなぐために犠牲となって、いろいろな地方から集められてきている。
そのままの訛りでは客に同郷であることが知れ、下手に同情されても困るし、せっかく覚悟を決めた遊女たちに里心がついてもいけない。
ありんす言葉は、最盛期には三千人といわれた遊女の訛りを隠すために、吉原が独自の口調を編み出したものである。
もちろん、浮世とは隔絶した別世界、桃源郷としての演出もあった。

モテようと独身ぶって、あることないこと並べても、そこは 「大かた、内にはおかみさんがござんせうね」と見透かされて終わり。

それは今も昔も変わらない。