わい
わいがや倶楽部

〜しゃれた知識って、最高のファッションでしょ。〜

言葉の謂われ
「SABAWOYOMU」

20.さばを読む

とりあえず、このへんのネダンで出しとこうよ。

見積り書を出すさいに、あらかじめ値切られてもいいように利益だけは確保しておく、というのはよくある手法。
相手もそのへんはしっかり読んでいる。
ただ、さばを読むことの本来の意味は、そうではない。

ここでの 「読む」 とは、 「数える」 ことなのである。
生き腐れとも言われ、魚のなかでも格段に傷みやすいさばをスピーディに流通させるには、あらゆることが時間勝負となる。

一匹一匹を正確にカウントしていたら、肝心のものが傷んでしまって売りものにならない。それよりも速さを優先し、目で数えて大体の数で取引したほうがいい。との考えから来た、とする説が有力だ。

こちらは、なにより品質を優先するための方策であり、互いの腹の底を読もうとするビジネスマンの 「さば」 とは、いささか心がけが違っている。

「ITANITSUKU」

19.板につく

そうなるまでの努力が、じつはたいへんで。

絵師が描いた画を、職人が彫った版木のうえで美しく摺りあげるのが摺り師である。この摺り師からはじまった言葉は多い。
まずは 「板につく」 から。

摺り師はまず、版木にうすく糊を敷く。
刷毛で顔料を塗ってから和紙をのせ、バレンで摺るのだが、これがどうしてたいへんな力仕事で、左右の膝がしらの外側がきちんと畳に付くように、あぐらに座らなければならない。

この本式の座り方ができるようになれば、一人前。
いわゆる 「仕事が板に付いた」 状態となる。

もっとも、ここに至るまでには、修練に次ぐ修練が求められる。
上等のかまぼこだって、晴れて板につくまでは念入りな作業がかくれている。

「ODEN」

18.おでん

庶民派なのに、ていねいに「お」が付けられている。

硬めの豆腐にみそを塗って、炉端でじっくり焼いたのが、田楽。
この豆腐はやがてこんにゃくに主役の座を奪われるが、そのおいしさが宮中にまで伝わって出世をした田楽は、いつしか「お」をつけて呼ばれるようになった。
「おでんがく」、さらに縮んで「おでん」となった。
今どきの、たっぷりのだしで煮込むのは、江戸近郊で濃口のしょうゆが造られるようになってからのこと。紀州から房州にしょう油づくりが伝わり、高価な上方産のしょう油に代わって、千葉の銚子や野田で地回りものが造られるようになった。これで、田楽焼きから鍋仕立てに移った。
続きがある。大正時代に関東大震災があり、東京が全滅した。
このとき、家を失った人や将来に不安を抱えた人が大勢、関西へと移り住んだ。また、東京の惨状を知ったたくさんの関西の料理人たちが、はるばる炊き出しに駆けつけた。鍋のなかに彼らの工夫がまじり、また地元へも持ち帰られた。 おでんと関東煮 (かんとだき) は、災害で助け合った人たちの、東西交流の味でもある。

「OSAISEN」

17.おさい銭

神さまにお金を投げるって、失礼じゃないの?

初詣などで、神様に向かって遠慮なくお金を投げているけど、なんとなく失礼なことのようにも思える。

でも、それで正しい。

お金はもともと、人の身代わりになって一身に 「けがれ」 を引き受けてくれるものと考えられてきた。その、けがれたものを投げ捨てることで、本人が祓え清められ、きれいな心身で神の前に立つことができるのである。

ところで気になるのが、金額のこと。
お賽銭はあくまでお祓いのためであって、本来ご利益をあがなうものでないから、高額である必要はないのである。

いまや日本は高度成長でも何でもない。基本に立ち返って、ポケットの隅に残った小銭で勘弁していただく。
賛成の方は多かろう。

「TOKAIDO」

16.東海道

首都の西にあるのに、なんで東の海なの?

江戸期以前は、京こそが天子のおわす上の方で、大坂も含めて上方であったから、向こうから見ればあきらかに東の海道だった。
したがって江戸から京や大坂に向かうには、東海道を上り、帰りは下ることになった。

東京に遷都されてから、政府やJRは鉄道の上りと下りは入れ替えたものの、天下随一の街道の名はそのままにしてしまった。
ほんとうなら、西海道か西街道になっていたはず。
東海地方という言い方も、JR東海も、そのまんま 「東」。

「YUBIKIRI」

15.指切り

って、子どもの遊びでしょ?

小さな指と指とをからませた、淡い思い出などでは断じてない。
こちらは吉原の遊女が上客の心を繋ぎとめるための、手練手管の一つ。

客に手伝わせて自分の指を切り落とし、その場で客に渡したと記録に残っている。

すでに亡くなった女郎の指を拝借したり、細工物の指で代用させることもあった。ほかには,自分の髪を切って渡し、いつも一緒だという「髪切り」 もあれば、熊野神社の護符の裏に想いをつづって血判を押す 「起請文」 もある。

向こうは指を切り落とすのだから、こっちだって針千本くらいは覚悟しなきゃならない。
それが嫌なら、その気になって与太話はせぬがいい。

「KAKIIREDOKI」

14.かき入れ時

金、銀、銭を掻きあつめるのかな?

重さで交換する銀は日ごとレートが変わるから、銭との交換がわずらわしく、売るほうは釣銭を出すのを嫌う。

まとまったものを買うときは、客も銭を持ち歩くことになる。
一文の重さが一匁で、かりに五百文の払いとなれば、荒縄や細紐でしばった百文差しを五本も持ち歩くことになる。
五百匁は2kg弱である。重いし、かさばる。

こうした互いの利点から、日常の細々としたものをのぞいて商取引はほとんどが掛け売りであり、毎月末や盆と暮れなどの節季にまとめて支払った。

取りっぱぐれがないよう、番頭や手代は日がな一日、せっせと大福帳に書き込む。忙しい日は、まさに筆を手にした「書き入れ時」 となる。

「GINKOU」

13.銀行

なんで、銀なの?金じゃいけないの?

呉服や太物 (木綿) は、盆暮れなどの節季にまとめて払う掛売りが当たり前だったから、客はその利子まで上乗せされて払わされていた。

銀建てである上方 (京・大坂) に本家をもつ三井呉服店はここに目をつけ、江戸に進出するにあたり「現銀、掛け値なし」をキャッチフレーズに掲げて、大当たりをとった。
利子がのっていないぶん安い、というわけである。

「現銀」とすることで京の香りを漂わせつつ、高価な呉服を割安にして庶民に近づけた。まともな着物は買えなくても、端切れなら買えるから、女たちはこぞって駆けつけた。

金貨は小判一枚が一両だが、銀貨は重さによって価値が変わる。そこで、両替商の出番となる。
上方の両替商から発展した現在の銀行は、それゆえ「金行」ではなく「銀行」と呼ばれようになった。

「DKKOISHO」

12.どっこいしょ

声に出したからって、らくになれるわけじゃないのに。

富士山は古くから、庶民の熱い信仰の対象だった。
が、旅をすればお金もかかる。おまけに登山用具も天気予報もないから、命がけの参拝となる。

頂上の浅間神社まで登るあいだに、参拝者は口々に「六根清浄」と唱える。
この 「ろっこんせいじょう」 が、いつのまにか「どっこいしょ」に転じたとされている。

現代の人もついつい口に出してしまうが、山道でもないのに、無意識のうちに六根清浄を唱えていることになる。

気づかぬうちに、心身のけがれを洗い流しているのである。

「GEBAHYOU」

11.下馬評

はて、うちの殿さまは、どうなるんだろう?

江戸期には平均して、旗本が約5200人、御家人が1万7000人もいた。
これに対して、幕府が用意できる役職は1000ほどしかないから、同じ役を何人かでワーキングシェアしても、大量の組織内失業者が出る。

御役に就く、あるいは昇進することは、御家の最大関心事であった。
だから、あるとき老中奉書が届いて「あした、登城するように」とお達しが来ると、もういけない。屋敷中が大騒ぎとなる。

当日の待合所は、江戸城の下馬所。
ここで長時間待たされるから、屋台が出た時期もあるほどで、家臣や家僕たちは落ち着かず、人事予想や噂話に余念がない。

下馬所での人事評価、これが下馬評である。

「KICHINYADO」

10.木賃宿

木で宿賃を払うってこと?

江戸のころは、東海道を旅する者は宿場でしか泊れないことになっていた。
その宿場には、旅籠 (はたご) と木賃宿とがあった。

旅籠は一泊二食付きの今でいう旅館であり、庶民以外に武家も宿泊した。

一方の木賃宿は、旅人が食材を持ちこんで自炊をする。
ただし、薪代だけは払う。
つまり、木の賃だけは払う宿、なのである。
ここでは板張りの床で、みんなが雑魚寝した。

「NAROKIN」

9.成金

なれるものなら、なってみたいけれど。

日露戦争に勝ったあと、戦勝気分による空前の投機ブームが起き、にわかに株で大もうけをした人間がたくさん現れた。
ただの「歩」がいきなり「金」に昇格する将棋の駒をもじり、皮肉まじりに彼らは「成り金」と呼ばれた。

カフェでお金をばらまいて、女給さんたちに奪い合いをさせてみたり、これみよがしにお札を燃やして明かりの代わりにしたという。
なんとも嫌ぁーな男たちである。

一方、紀文こと紀伊国屋文左衛門も、吉原で小判をまいている。
が、こちらは命を張った航海のすえに材木商として伸しあがり、より大きな仕事を請け負うための計算づくのPR戦術だったから、御大尽ともてはやされた。

「GOMAKASU」

8.ごまかす

なんで、ゴマなの?

もともと日本は、食用にできる油がきわめて少ない。
せいぜいが菜種油くらいしかなかった。

ごま油のほうがうまいとわかっているのだが、なにしろこっちは最高級品だから、なかなか手が出ない。

で、天ぷら屋は白い油を半分、あとはカヤやツバキなんかの油に一割か二割だけ、ごま油を入れる。
と、ごまの匂いがする。

ここから、「ごまかす」 という言葉が出た。

「OYATSU」

7.おやつ

3時でないと、食べちゃいけないの?

江戸時代の寺子屋は、始まりが、明け六つ半(午前7時ごろ)から五つの間(午前7時30分ごろ)で、終まいが、昼八つ(午後2時ごろ)と八つ半(午後3時ごろ)の間。

ざっくり言って、昼の八つ時分に引ける。
そこから歩いて子どもが帰宅するのが、ほぼ「お八つ」。

つまり 「三時のおやつ」 となった。

「HIYAKASHI」

6.冷やかし

吉原の遊女からいちばん嫌われた男たち。

江戸のころの紙は高価だったから、鼻紙や落とし紙などに再利用する「漉き返し」の技術が発達した。こうした工房が多くあったことで、浅草紙(あさくさがみ)の名がついた。
使い古した、いちばん安物の紙である。

紙屑を集め、細かく裁断し、煮てから漉きなおす。
が、煮たものを冷ますのにはずいぶんと時間がかかるから、金もないのに、ついつい近くの吉原のお女郎さんを拝みにいく。

むなしく帰るのなら行かなきゃよさそうなものだが、そこは男。ただ見るだけの客を、いつしか吉原では「冷やかし」と呼んで嫌った。

「DAIKONYAKUSYA」

5.大根役者

役者が、なんで大根なの?

大根を食べて腹をくだす者は、まずいない。
つまり、当たらない。転じて、芝居で受けない、当たらない役者となる。
大根は白いから、しろうとの役者、との説もある。

ところで、家を新築するときに、棟上げとか建前と称する儀式をおこなうが、このとき天と地を鎮めるために弓矢や餅などとともに、大根を供える地域がある。

てんぷらを食するさいに胸焼けしないよう大根おろしが添えられているのはご存じのとおりだが、ここでは、胸ならぬ 「棟」 が焼けないためのお供えとなっている。

「KISERU」

4.キセル

入口と出口にだけ、お金をかけるのが煙管(きせる)。

遠くへ行くのに、次の駅までの切符を買って乗車し、最後の短い区間の切符や定期券で下車して中間の金を浮かせるのが、キセル乗車。

いけないことだけど、昭和の学生はたいていお金がなかったから、心あたりのある人は、けっこういるはず。

で、本物の煙管はと見れば、やっぱり手もとの吸い口と、先っぽの火皿だけが金属。つまり、煙りの入口と出口にだけ金をかけて、途中は竹などで安くあげている場合が多い。

なるほど、本家もキセルしていましたか。

「ONNA WA SANSYAKU SAGATTE」

3.女は三尺さがって

ええっ、なんで女のほうが下がんなきゃいけないの?

武士というものは、めったに女性とは外出しないもの。
先祖の墓参りとかで仕方なくいっしょに出かけるときは、妻は風呂敷包みを抱え、夫の三尺後ろを歩く。

仲よく寄り添って歩いていて、万一、夫が襲われたら、互いにぶつかりあって身動きが取れないし、なにより夫が刀を抜けない。
三尺 (90.9cm) は、ふいに敵に襲われたとき、夫が反撃するための間合い。夫が生き残るための距離。

そして妻は、とっさに手のなかの風呂敷包みを相手に投げつけ、すこしでも夫が反撃できる時間を稼ぐのである。
だから、持ち歩く必要がないときも、わざわざなにかしらをくるんで出かけた。

武士の家は夫婦で守るもの、との考えからきたもので、女性蔑視からきた習わしではなかった。

「MICHIKUSA」

2.道草

って、どんな葉っぱの草?

もともとは、道端の草のことを指す。
転じて、「寄り道」となったが、道草を食うなどといっても、なにも人間が道の草を食べるわけではない。

馬が道の草を喰って、ちっとも前に進んでくれないこと。
日は高いし、急ぐほどの用でもないから、馬子もまた、どっこいしょ、と煙草を一服。

道草は、馬にとってのランチタイム。
あるいは、ちょっとしたサボタージュ。

食べるふりしてさぼっているときもあるが、現代なら堂々と権利を主張できるきちんとした馬の食事時間、休憩時間なのである。

「ARINSU」

1.ありんす

ありんす言葉、って、なに弁?

も吉原の遊女たちはみんな、家族が食いつなぐための犠牲となって、いろいろな地方から集められてきた女性たちである。
そのままの訛りでは、ときに客と同郷であることが知れ、下手に同情されても困るし、せっかく覚悟を決めた彼女たちに里心がついてもいけない。

わちきは、ありんす、ありんせん、おざんす、おざんした……。

「ありんす言葉」は、最盛期は三千人ともいわれた遊女たちの訛りを隠すために、吉原が独自の口調を編み出したものである。もちろん大枚を吐き出させるための、浮世とは隔絶した桃源郷としての演出もあった。

モテようと独身男をよそおって、あることないこと並べても、そこは「大かた、内にはおかみさんがござんせうね」と見透かされて終わり。
それは、今も昔も変わらない。