わい
わいがや倶楽部

〜しゃれた知識って、最高のファッションでしょ。〜

言葉の謂われ

 
 
 
 

「GOMAKASU」
8.ごまかす

なんで、ゴマなの?

もともと日本は、食用にできる油がきわめて少ない。
せいぜいが菜種油くらいしかなかった。
ごま油のほうがうまいとわかっているのだが、なにしろこっちは最高級品だから、なかなか手が出ない。
で、天ぷら屋は白い油を半分、あとはカヤやツバキなんかの油に一割か二割だけ、ごま油を入れる。と、ごまの匂いがする。
ここから、「ごまかす」 という言葉が出た。

 
 
 
 

「OYATSU」
7.おやつ

3時でないと、食べちゃいけないの?

江戸時代の寺子屋は、始まりが、明け六つ半(午前7時ごろ)から五つの間 (午前7時30分ごろ)で、終まいが、昼八つ(午後2時ごろ)と八つ半(午後3時ごろ)の間。

ざっくり言って、昼の八つ時分に引ける。
そこから歩いて子どもが帰宅するのが、ほぼ「お八つ」。
つまり「三時のおやつ」となった。

 
 
 
 

「HIYAKASHI」
6.冷やかし

遊女からいちばん嫌われた男たち

紙が冷めるまで、ちょいと歩いて吉原へ。

紙は高価だったから、鼻紙や落とし紙などに再利用する「漉き返し」 の技術が発達した。
こうした工房が多くあったことで、浅草紙 (あさくさがみ) の名がついた。使い古した、いちばん安物の紙である。

紙屑を集め、細かく裁断し、煮てから漉きなおす。が、煮たものを冷ますのに時間がかかるから、金もないのに、ついつい近くの吉原の女郎を拝みにいく。

むなしく帰るのなら行かなきゃよさそうなものだが、そこは男。
ただ見るだけの客を、いつしか吉原では、「冷やかし」 と呼んで嫌った。

 
 
 
 

「DAIKONYAKUSYA」
5.大根役者

役者が、なんで大根なの?

まず大根で食あたりすることは、ない。

大根を食して腹を下す者はいない。つまり、あたらない。
転じて、芝居で受けない、当たらない役者となる。大根は白いから、 しろうとの役者 との説もある。

もう一つ。
家を新築するときに、棟上げとか建前と称する儀式をおこなうが、このときは天と地を鎮めるために、弓矢や餅などとともに大根を供える地域がある。

てんぷらを食するさい、胸焼けをしないよう大根おろしが添えられているが、ここでは胸ならぬ 「棟」が焼けないためのお供えとなっている。

 
 
 
 

「KISERU」
4.キセル

いえ、タバコを吸うのではありません。
むかし、中間の電車賃を浮かせることをそう言ってましたよね。
でも、なんでキセル?

入口と出口にだけ、金をかけるのが煙管 (きせる)。

遠くへ行くのに、次の駅までの切符を買って乗車し、最後の短い区間の切符や定期券で下車して中間の金を浮かせるのが、キセル乗車。いけないことだけど、昭和の学生はたいていお金がなかったから、心あたりのある人は、けっこういるはず。

で、本物の煙管はと見れば、やっぱり手もとの吸い口と、先っぽの火皿だけが金属。
つまり、煙りの入口と出口にだけ金をかけて、途中は竹などで安くあげている場合が多い。
なるほど、本家もキセルしていましたか。

 
 
 
 

「ONNA WA SANSYAKU SAGATTE」
3.女は三尺さがって

ええーっ、なんで女のほうが下がんなきゃいけないの?

ふいに敵に襲われたとき、夫が反撃するための間合いが、三尺。

武士というものは、めったに女性とは外出しないもの。
先祖の墓参りとかで仕方なくいっしょに出かけるときは、妻は風呂敷包みを抱え、夫の三尺後ろを歩く。
仲よく寄り添って歩いていて、万一、夫が襲われたら、互いにぶつかりあって身動きが取れないし、なにより夫が刀を抜けない。 三尺 (90.9cm) は夫が生き残るための距離。
そして妻は、とっさに手のなかの風呂敷包みを相手に投げつけ、すこしでも夫が反撃できる時間を稼ぐのである。

だから、持ち歩くものがないときでも、わざわざなにかしらをくるんで出かけた。
武士の家は夫婦で守るもの、との考えからきたもので、女性蔑視からきた習わしではなかった。

 
 
 
 

「MICHIKUSA」
2.道草

ってどんな草?草で遊ぶこと?

道草は、馬にとってのランチタイム。
あるいは、ちょっとしたサボタージュ。

もともとは、道端の草のことを指す。
転じて、「寄り道」となったが、なにも人間が道の草を食べるわけではない。
馬が道の草を喰って、ちっとも前に進んでくれないこと。
日は高いし、急ぐほどの用でもないから、馬子もまた、どっこいしょ、と煙草を一服。

食べるふりしてさぼっているときもあるが、現代なら堂々と権利を主張できる
きちんとした馬の食事時間、休憩時間なのである。

 
 
 
 

「ARINSU」
1.ありんす言葉

って、なに弁?

わちきは、ありんす、ありんせん、おざんす、おざんした

吉原の遊女たちは、家族が食いつなぐために犠牲となって、いろいろな地方から集められてきている。
そのままの訛りでは客に同郷であることが知れ、下手に同情されても困るし、せっかく覚悟を決めた遊女たちに里心がついてもいけない。
ありんす言葉は、最盛期には三千人といわれた遊女の訛りを隠すために、吉原が独自の口調を編み出したものである。
もちろん、浮世とは隔絶した別世界、桃源郷としての演出もあった。

モテようと独身ぶって、あることないこと並べても、そこは 「大かた、内にはおかみさんがござんせうね」と見透かされて終わり。

それは今も昔も変わらない。